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貧乏物語
河上肇
・[# 以下は、底本にはないWeb用の目次です。(日付)は新聞掲載時大正5年(1916年)の日付です]
河上肇「貧乏物語」 ウェッブ用 目次
本文
いかに多数の人が貧乏しているか(上編)
1-1(9月12日) 1-2(9月13日) 1-3(9月14日) 1-4(9月15日)
2-1(9月16日) 2-2(9月17日) 2-3(9月18日)
3-1(9月19日) 3-2(9月24日) 3-3(9月25日) 3-4(9月26日) 3-5(9月28日) 3-6(9月30日) 3-7(10月1日)
4-1(10月2日) 4-2(10月3日)
何ゆえに多数の人が貧乏しているか(中編)
5-1(10月4日) 5-2(10月5日) 5-3(10月13日) 5-4(10月14日)
6-1(10月15日) 6-2(10月16日)
7-1(10月17日) 7-2(10月18日) 7-3(10月19日) 7-4(10月20日)
いかにして貧乏を根治しうべきか(下編)
8-1(11月11日) 8-2(11月14日)
9-1(11月15日) 9-2(11月16日) 9-3(11月22日) 9-4(11月29日) 9-5(11月30日) 9-6(12月1日)
10-1(12月2日) 10-2(12月4日) 10-3(12月5日) 10-4(12月7日) 10-5(12月8日)
11-1(12月9日) 11-2(12月10日) 11-3(12月11日) 11-4(12月12日)
12-1(12月13日) 12-2(12月14日) 12-3(12月18日) 12-4(12月19日) 12-5(12月20日) 12-6(12月21日) 12-7(12月22日)
13-1(12月23日) 13-2(12月25日) 13-3(12月26日)
付録 ロイド・ジョージ
序
この物語は、最初余が、大正五年九月十一日より同年十二月二十六日にわたり、断続して大阪《おおさか》朝日新聞に載せてもらったそのままのものである。今これを一冊子にまてめて公にせんとするに当たり、余は幾度かこれが訂正増補を企てたれども、筆を入るれば入るるほど統一が破れて襤褸《ぼろ》が出る感じがするので、一二文字の末を改めたほかは、いったん加筆した部分もすべて取り消して、ただ各項の下へ掲載された新聞紙の月日を記入するにとどめおいた。ただし貧乏線を論ずるのちなみに額田《ぬかだ》博士の著書を批評した一節は、その後同博士の説明を聞くに及び、余にも誤解ありしを免れずと信ずるに至りしがゆえに、これを削除してやむなくその跡へ他の記事を填充《てんじゅう》[#填は「つちへん+眞」の表記]し、また英国の食事公給条例のことを述べし項下には、事のついでと思って、この条例の全文を追加しておいた。ただこの二個所がおもなる加筆であるが、しかしそれでさえ、こうして印刷してみると、いかにもよけいなこぶができたようで、むだなことをしたものだと後悔している次第である。過去十数年間私はいろいろな物を書いたけれども、この論文ほどまとまったものはない。自分ではこれが今日まで最上の著作だと思う。と言ったからとて、——念のために付け加えておくが——世間の相場でこれを良書の一と認めてもらいたいなどという意味の要求をするのでは毛頭ない。
人はパンのみにて生くものにあらず、されどまたパンなくして人は生くものにあらずというが、この物語の全体を貫く著者の精神の一である。思うに経済問題が真に人生問題の一部となり、また経済学が真に学ぶに足るの学問となるも、、全くこれがためであろう。昔は孔子のいわく、富にして求むべくんば執鞭《しつべん》の士といえども吾《われ》またこれを為《な》さん、もし求むべからずんばわが好むところに従わんと。古《いにしえ》の儒者これを読んで、富にして求めうべきものならば賤役《せんえき》といえどもこれをなさん、しかれども富は求めて得《う》べからず、ゆえにわが好むところに従いて古人の道を楽しまんと解せるがごときは、おそらく孔子の真意を得たるものにあらざらん。孔子また言わずや、朝《あした》に道を聞かば夕べに死すとも可なりと。言うこころは、人生唯一の目的は道を聞くにある、もし人生の目的が富を求むるにあるならば、決して自分の好悪をもってこれを避くるものにあらず、たといいかようの賤役なりともこれに従事して人生の目的を遂ぐべけれども、いやしくもしからざる以上、わが好むところに従わんというにある。もし余にして、かく解釈することにおいてはなはだしき誤解をなしおるにあらざる以上、余はこの物語において、まさに孔子の立場を奉じて富を論じ貧を論ぜしつもりである。一部の経済学者は、いわゆる物質文明の進歩——富の増殖——のみをもって文明の尺度となすの傾きあれども、余はできうるだけ多数の人が道を聞くに至る事をもってのみ、真実の意味における文明の進歩と信ずる。しかも一経済学者たる自己現在の境遇に安んじ、日々富を論じてあえて倦《う》むことなきゆえんのものは、かつて孟子《もうし》の言えるがごとく、恒産《こうさん》なくして恒心《こうしん》あるはただ士のみよくするをなす、民のごときはすなわち恒産なくんば因《よ》って恒心なく、いやしくも恒心なくんば放辟邪侈《ほうへきじゃし》、ますます道に遠ざかるを免れざる至るを信ずるがためのみである。ラスキンの有名なる句に There is no wealth, but life (富何者ぞただ生活あるのみ)とこいうことがあるが、富なるものは人生の目的——道を聞くという人生唯一の目的、ただその目的を達するための手段としてのみ意義あるに過ぎない。しかして余が人類社会より貧乏を退治せんことを希望するも、ただその貧乏なるものがかくのごとく人の道を聞くの妨げとなるがためのみである。読者もしこの物語の著者を解して、飽食暖衣をもって人生の理想となすものとされずんば幸いである。
著者経済生活の理想化を説くや、高く向上の一路をさすに似たりといえども、彼あによくその説くところを自ら行ない得たりと言わんや。ただ平生の志を言うのみ。しかも読者もしその人をもってその言を捨てずんば、著者の本懐これに過ぐるはあらざるべし。
巻頭に掲ぐるところの画像は、経済学の開祖アダム・スミスの肖像である。今や氏の永眠をさること百有余年、時勢の変に伴うて学説の改造を要するものもとより少なからずといえども、いやしくも斯学《しがく》を攻究する者にして氏の学恩をこうむらざる者はほとんどまれなり。ことにその潜心窮理の勝躅《しょうちょく》に至っては、ことごとく採ってもって後学の範となすべきものがある。すなわちその画像を巻首に載せ、いささか追慕の意を表する次第である。原図はアダム・スミス永眠後二十年、すなわち一八一一年の十一月二十五日、ロンドンなる一書林より発売せし一枚売りの肖像にして、現に京都帝国大学付属図書館に蔵するもの。印刷の都合により画像とその下なる数行の文字との間隔をば少しく縮めたるほかは、きわめて忠実に原図を複写せしめたものである。
この物語には細目を付せず。こは必ずしも労をいといてにはあらず、ただ読まるべくんば全編を通読されんこと、これ著者の希望なるがためである。
付録として、ロイド・ジョージに関する拙文二編を収む。一は昨年の七月執筆せしものにて、他は本年の一月稿を成せしものである。けだし氏は真に貧乏根治の必要を理解せる大政治家の一人として、著者の平生最も尊敬するところ。あわせ録して敬意をいたすの徴となすゆえんである。
本書の装幀《そうてい》はすべて舎弟の手を煩わす。すなわち本書の印刷と発行は皆これ京都において営み得たるが上に、文章と装幀に至ってはことごとくわが家の産物である。思うにこの書成るの日、一本を父に送らば、おそらく莞爾《かんじ》としてしばらくは手に巻を放たれざらん。
大正六年一月二十五日 京都 河 上 肇
目次
いかに多数の人が貧乏しているか(上編)
何ゆえに多数の人が貧乏しているか(中編)
いかにして貧乏を根治しうべきか(下編)
付録
ロイド・ジョージ
貧乏物語
[#河上肇「貧乏物語」(上編)1/2]
一の一
驚くべきは現時の文明国における多数人の貧乏である。一昨昨年(一九一三年)公にされたアダムス氏の『社会革命の理』*を見ると、近々のうちに社会には大革命が起こって、一九三〇年、すなわちことしから数えて十四年目の一九三〇年を待たずして、現時の社会組織は根本的に顛覆《てんぷく》[#顛は「眞+頁」で表記]してしまうということが述べてあるが、今日の日本にいてかかる言《げん》を聞く時は、われわれはいかにも不詳不吉《ふしょうふきつ》な言いぶんのように思う。しかし翻って欧米の社会を見ると、冷静なる学究の口からかかる過激な議論が出るのも、必ずしも無理ではないと思わるる事情がある。英米独仏その他の諸邦、国は著しく富めるも、民ははなはだしく貧し。げに驚くべきはこれら文明国における多数人の貧乏である。
* Brooks Adams,Theory of Social Revolutions,1913.
私は今乾燥無味の統計を列挙して多数貧民の存在を証明するの前、いうところの貧民とはなんぞやとの問題につき、一応だいたいの説明をする必要がある。
昔釈雲解という人あり、「予他邦に遊学すること年有りて、今文政十二己丑《きちゅう》の秋郷《きょう》に帰る時に、慨然として心にいたむ事有りて、一夜これを燈下に草《そう》して里人にあとう」と言いて『生財弁』一巻(『通俗経済文庫』第二巻に収む)を著わす。その中にいう「貧《まず》しきと賤《いや》しきとは人の悪《にく》むところなりとあらば、いよいよ貧乏がきらいならば、自ら金持ちにならばと求むべし、今わが論ずるところすなわちその法なり、よっていいっさい世間の貧と福とを引き束ねて四通りを分かつ、一ツには貧乏人の金持ち、二ツには金持ちの貧乏人、三ツには金持ちの金持ち、四ツには貧乏人の貧乏人」。すなわちこの説に従わば、貧乏人には金持ちの貧乏人と貧乏人の貧乏人との二種類あることとなる。
今余もいささか心にいたむ事あってこの物語を公にする次第なれども、論ずるところ同じからざるがゆえに、貧乏人を分かつこともまたおのずから異なる。すなわち余はかりに貧乏人を三通りに分かつ。第一の意味の貧乏人は、金持ちに対していうところの貧乏人である。しかしてかくのごとくこれを比較的の意味に用い、金持ちに対して貧乏人という言葉を使うならば、貧富の差が絶対的になくならぬ限り、いかなる時いかなる国にも、一方には必ず富める者があり、他方にはまた必ず貧しき者があるということになる。たとえば久原《くはら》に比ぶれば渋沢《しぶさわ》は貧乏人であり、渋沢に比ぶれば河上《かわかみ》は貧乏人であるというの類である。しかし私が、欧米諸国にたくさんの貧乏人がいるというのは、かかる意味の貧乏人をさすのではない。
貧乏人ということばはまた英国の pauper すなわち被救恤者《ひきゅうじゅつしゃ》という意味に解することもある。かつて阪谷《さかたに》博士は日本社会学院の大会において「貧乏ははたして根絶しうべきや」との講演を試み、これを肯定してその論を結ばれたが、博士のいうところの貧乏人とはただこの被救恤者をさすのであった。(大正五年発行『日本社会学院年報』第三年度号)。私はこれをかりに第二の意味の貧乏人と名づけておく。ひっきょう他の救助を受け人の慈善に依頼してその生活を維持しおる者の謂《いい》であるが、かかる意味の貧乏人は西洋諸国においてはその数もとより決して少なしとはせぬ。たとえば一八九一年イングランド(ウェールズを含む)の貧民にして公の救助を受けし者は、全人口千人につき平均五十四人、すなわち約十八人につき一人ずつの割合であり、六十五歳以上の老人にあっては、千人につき平均二百九十二人、すなわち約三人に一人ずつの割合であった。統計は古いけれども、これでその一斑はわかる。さればこの種の貧民に関する問題も、西洋諸国では古くからずいぶん重要な問題にはなっているが、しかしこれもまた私がここに問題とするところではない。
私がここに、西洋諸国にはたくさんの貧乏人がいるというのは、経済学上特定の意味を有する貧乏人のことで、かりにこれを第三の意味の貧乏人といっておく。そうしてそれを説明するためには、私はまず経済学者のいうところの貧乏線* の何ものたるやを説かねばならぬ。
* "Poverty line."
一の二
思うにわれわれ人間にとってたいせつなものはおよそ三ある。その一は肉体《ボデイ》であり、その二は知能《マインド》であり、その三は霊魂《スピリット》である。しかして人間の理想的生活といえば、ひっきょうこれら三のものをば健全に維持し発育させて行くことにほかならぬ。たとえばからだはいかに丈夫でも、あたまが鈍くては困る。またからだもよし、あたまもよいが、人格がいかにも劣等だというのでも困る。されば肉体《ボデイ》と知能《マインド》と霊魂《スピリット》、これら三のものの自然的発達をば維持して行くがため、言い換うれば人々の天分に応じてこれら三のものをばのびるところまでのびさして行くがため、必要なだけの物資を得ておらぬ者があれば、それらの者はすべてこれを貧乏人と称すべきである。しかし知能《マインド》とか霊魂《スピリット》とかいうものは、すべて無形のもので、からだのように物さしで長さを計ったり、衡《はかり》で目方を量ったりすることのできぬものであるから、実際に当たって貧民の調査などする場合には、便宜のため貧乏の標準を大いに下げて、ただ肉体のことにみを眼中に置き、この肉体の自然的発達を維持するに足るだけの物をかりにわれわれの生存に必要な物と見なし、それだけの物を持たぬ者を貧乏人として行くのであって、それが私の言う第三の意味の貧乏人である。
さてこの肉体を維持するに最も必要なるものは食物であるが、これはもろもろの学者の精密な研究の結果によりて、西洋では大人《おとな》の男子で普通の労働をしている者は、まず一日三千五百カロリーの熱量を発するだけの食物を取ればよいということがわかっておる。有名なローンツリー氏の貧民調査などはすなわちこれを標準としたものである。ここに一カロリーというは、水一キログラム(すなわち二百六十七匁)を摂氏の寒暖計にて一度だけ高むるに要する熱の分量である。けだしわれわれ人間のからだはたとえば蒸気機関のごときもので、食物という石炭を燃やさなければ、この機械は運転せぬのである。そこでそのからだという機械の運転に必要な食物の分量は、これを科学的に計算するに当たりては、米何合とか肉何斤とか言わずに、すべてカロリーという熱量の単位に直してしまうのである。
しからば人間のからだを維持するにちょうど必要な熱の分量はこれをいかにして算出するかというに、これについてはいろいろの学者の種々なる研究があるが、試みにその一例を述ぶれば、監獄囚徒に毎日一定の労働をさせ、そうしてそれに一定の食物を与えて、その成績を見て行くのである。最初充分に食物を与えずにおくと、囚徒らは疲労を感じて眠《ねぶ》たがる。何か注文があるかと聞くと、ひもじいからもっと[#もっと に傍点]食べさしてほしいと言う。そうして体量を秤《はか》って行くとだんだんに減ずるのである。そこで次には食物の分量をずっと[#ずっと に傍点]ふやしてみる。そうすると体重はふえだす。何か注文があるかと聞くと、今度はもう少しうまい[#うまい に傍点]物を食べさせてほしいというようにぜいたくを言いだす。食物に対する欲求が分量から品質に変わって来る。英国のダンロップ博士がスコットランドの囚徒について試験したのはこの方法によったものであるが、この時の成績(一九〇〇年パリーに開催されたる第十三回万国医学大会において報告)によると、二個月間毎日三千五百カロリーの熱量を有する食物を与えておいた時には、普通の体重を有する囚徒のうち約八割二分の者は次第にその体重を減じて来たが、三千七百カロリーの熱量を有する食物を与えてみると、約七割六分の者は次第にその体重を増加するかまたは維持することができたという。すなわちこの時の試験によると、三千五百カロリーの熱量を有するだけの食物では少し不足だという事になるのだけれども、しかし試験に供せられた囚徒は日々石切りを仕事としている者で、相当激しい労働に従事していたわけなので、現にダンロップ博士自身も普通の人で軽易な仕事をしておる者には三千百カロリーの食物で充分だろうと言っているのである。そこでローンツリー氏の貧民調査などでは、前に述べたごとく三千五百カロリーをもって普通の労働に従事せる大人《おとな》の男子に必要な一日分の熱量と見なしたのである。
一の三
西洋と日本とにては気候風土も同じからず、また西洋人と日本人とにては人種体質も異なる次第なれば、一概には定めがたけれども、前回に述べしようの方法にて、西洋にては男子の大人《おとな》にて普通の労働に従事する者は、一日約三千五百カロリーの熱量を有する食物を摂取せば可なりということ、ほぼ学者間の定説である。よりてこれを大体の標準となし、女子ならばいかほど、子供ならばいかほどというように、性及び年齢に応じて、それぞれ必要な食物の分量を決めて行くのである。
ちなみにいう、先の大統領タフト氏を総裁とせる米国生命延長協会の校定に成れる『いかに生活すべきか* 』を見るに、一日一人の所要熱量をば約二千五百カロリーとしてある。すなわちこれに比ぶれば、前に述べたるローンツリー氏らの標準ははなはだ過大に失せるがごとく見ゆるも、かかる差異は、食物と労働との関係を計算に入るると否とのよりて生ずるのである。現に『いかに生活すべきか』には「普通の座業者は一日約二千五百カロリーを要する、しかしからだが大きくなればなるほど、また肉体的労働に従事すればするほど、ますます多くの食物を要する」と断わってある。しかるに貧乏人は、いずれの国においても最も多くの肉体的労働に従事しつつあるものである。これ貧乏線測定の標準とすべき所要食料の分量が、普通人のために設けられたる標準とやや相違するところあるゆえんである。
* How to Live,1916. p.30.
思うに所要熱量が労働の多少に大関係を有することは論をまたぬが、試みにその程度を示さんがために、私は左に一表を掲げる。これはフィンランドの大学教授ベケル及びハマライネンの二氏が、個々の労働者につきその実際に消費するところの熱量を測定したものである。
職業 年齢 身長(フィート—インチ) 体重(ポンド) 休業中一時間内の消費熱量 労働中一時間内の消費熱量 一日間の消費総熱量(八時間労働、十六時間休養) 製靴業《せいかぎょう》 56 5—0 145 73 172 2544 同 30 5—8 143 87 171 2760 裁縫師 39 5—5 141 72 124 2144 同 46 5—10.5 161 102 135 2712 製本業 19 6—0 150 87 164 2704 同 23 5—4.5 143 85 163 2664 金属工 34 5—4 139 81 216 3024 同 27 5—5 130 99 219 3336 ペンキ塗り 25 5—11 154 104 231 3512 同 27 5—8 147 111 230 3616 指物師《さしものし》 42 5—7 154 81 204 2928 同 24 5—5.5 141 85 244 3312 石工 27 5—11 156 90 408 4704 同 23 5—8 141 85 366 4288 木挽《こびき》 42 5—5 167 86 501 5384 同 43 5—5 143 84 451 4952
(右『いかに生活すべきか』一九五ページに引くところを抄録す* )
* Skandinavisches Archiv fur Physiologie. XXXI,Band 1,2u,3. Heft,Leipzig. [# fur はウムラウトつきの u です]
右の表によりて見る時は、われわれの所要熱量は労働中と休業中とによりて大差あり、また労働の種類によりて大差あることが、きわめて明瞭《めいりょう》である。しかして私がここに特に読者の注意を請わんとするは、労働中と休業中における所要熱量の差異であるが、右の表によれば、木挽《こびき》業者のごときは、その労働中の所要熱量は休業中のほとんど五倍ないし六倍に達するのである。さればこれら労働者の摂取すべき熱量を定むるに当たりては、常にその労働時間の多少を考慮に入るるの必要あるものにて、現に前表における木挽《こびき》のごとき、一日八時間の労働ならば、その消費総熱量は約五千カロリーなれども、もし労働時間を延長してかりに十二時間となさんか、約七千カロリーを要する計算となるのである。
労働時間の長短が所要熱量の多少に影響することかくのごとし。しかしてこの点より言えば、日本の労働者は西洋の労働者に比して、からだこそ小さけれ、はるかに多くの労働時間に服しつつあるがゆえに、その所要食料は西洋人に比してはははだしき差異はなかるべきかと思う。
さて話がつい横道にそれたが、すでに一人前の生活に必要な食物の分量が決まったならば、次にはそれだけの食物を得るのにいかほどの費用がいるかを見なければならぬ。詳しく言えば、所定の熱量を有する食物を得るのに、できうるだけじょうずに、すなわちなるべく安くしかもなるべく滋養価の多い物を買うことにすれば、一定の物価の下で、およそいかほどの費用がかかるかを調べるのである。そうすれば、一人の人間の生活に必要な食料の最低費用が計算できるはずである。
かくのごとくにして、食費のほか、さらに被服費、住居費、燃料費及びその他の雑費を算出し、それをもって一人前の生活必要費の最下限となし、これを根拠として貧乏線という一の線を描く。しかしてこの線こそ、実際の調査に当たり、私が先にいうところの第三の意味における貧富の標準となるもので、すなわちわれわれは、この一線によって世間の人々を二類に分かち、かくてこの線以下に下れる者、言い換うればこの生活必要費の最下限に達するまでの所得をさえ有しおらざる者は、これを目《もく》して貧乏人となし、これに反してこの線以上に位しそれ以上の所得を有しいる者は、これを貧乏人にあらざる者と見なすのである。
一の四
私はすでに貧乏線の何ものたるやを説明し、従うてまた第三の意味における貧乏人の何ものたるやも一応説明したわけである。しかしまだその話を続けなければならぬというのは、貧乏線以上にある者とそれ以下にある者とのほかに、あたかもその線の真上に乗っている者があるからである。ここにあたかも貧乏線の真上に乗っている者というのは、その収入がまさに前回に述べたる生活必要費の最下限に相当しつつある者の謂《いい》である。従うてこれらの輩は、その収入の全部をばあげて肉体の健康を維持するの用途にのみあつるならば、かろうじて栄養不足に陥ることを免るれども、もしこれと異なり、少しにてもその収入をば肉体の健康を維持するの目的以外に費やすならば、それだけ食費その他の必要費に不足を生じ、その健康をそこのうことになるのである。言うまでもなく、肉体の健康を維持する費用のみがわれわれの生活に必要な費用の全部ではない。たとえば衣服にしても、職業の種類によっては、単に寒暑を防ぎ健康に害なきだけのもので満足しておるわけにはゆかぬ。また子供がおれば学校にも出さなければならぬ。親の情としてただに子供の肉体を丈夫に育てるのみならず、その精神霊魂をも健全に育てる苦心をしなければならぬ。しかしまさに貧乏線上にある人々は、すべてかくのごとき用途にあつべき余裕をもたぬ者であるから、たといいかに有益または必要なる事がらなりとも、もし肉体の健康維持という目的以外に何等かの支出をするならば、これらの人々はそれだけ肉体の健康を犠牲にしなければならぬのである。煙草《たばこ》を用い酒を飲みなどすればむろんのこと、新聞紙を購読しても、郵便一つ出しても、そのたびごとに肉体の健康を犠牲にしなければならぬのである。
まさに貧乏線上に乗りおる人々の生活はかくのごときものである。それゆえわれわれは、ただに貧乏線以下にいる人々をもって貧乏人に編入するのみならず、あたかもその線の真上に乗りおる人々をもやはり貧乏人として計上するのである。ここにおいてか、いうところの貧乏人はおのずから分かれて二種類となる。すなわちかりに名づけて第一級の貧乏人というは、前回に述べたるごとく、貧乏線以下に落ちおる人々のことにして、また第二級の貧乏人というは、以上述べきたりしがごとく、まさに貧乏線の真上に乗っている人々のことである。しかしてこれら第一級及び第二級の貧乏人こそ、以下この物語の主題とするところの貧乏人である。
これによって見れば、私がこの物語でいうところの貧乏人なる者の標準は、その程度が実にはなはだしく低いものなのである。私は、次回から西洋における貧乏人のきわめて多数に上りつつある事を述べようと思うが、私はあらかじめ読者に向かって、その時私の列挙するところの数字はいずれもほぼ以上の標準によるものなることを忘れられぬよう希望しておく。ことわざに、すべて物事を力強く他人の頭に打ち込むためにはこれを誇張するよりもむしろ控えめに言えということがあるが、私は何もそんな意味の政略からわざと話を控えめにするのではない。ただ叙述を正確にするために、従来人々の採用した標準をば、ただそのまま踏襲しようとするに過ぎぬ。
さて、私は以上をもって貧乏なる語に種々の意味あることを明らかにし、ようやくこの物語の序言を終うるを得た。今振り返ってこれを要約するならば、貧乏なる語にはだいたい三種の意味がある。すなわち第一の意味における貧乏なるものは、ただ金持ちに対していう貧乏であって、その要素は「経済上の不平等《エコノミック・インクオリテー》」である。第二の意味における貧乏なるものは、救恤《きゅうじゅつ》を受くという意味の貧乏であって、その要素は「経済上の依頼《エコノミック・デペンデンス》」にある。しかして最後に述べたる意味の貧乏なるものは、生活の必要物を享受しおらずという意味の貧乏であって、その要素は「経済上の不足《エコノミック・インサフィセンシイ》」にある。
すでに述べしごとく、この物語の主題とするところは、もっぱら第三の意味における貧乏であるけれども、なお時としては、おのずから第一ないし第二の意味の貧乏に言及することもありうる。しかしその時には必ず混雑を避くるために、私は常に相当の注意を施すことを忘れぬであろう。
二の一
私のいうところの貧乏人の意味は、前数回において私のすでに説明したところである。しからばその標準にもとづき、今日の文明諸国において、かくのごとき貧乏人ははたしてどれだけいるかというに、そは実に驚くべき多数に上りつつある。
試みに世界最富国の一たる英国の状態についてその一斑を述べんに、一八九九年富裕なる商人の篤志家ローンツリーなる人がヨーク市(当時人口七万五千八百十二人)にて綿密なる調査をなせし結果によれば、当時第一級の貧乏人に属する者総数七千二百三十人、いずれも皆労働者階級のものなるが、これをば労働者総数に比較せばその一割四分四厘六毛に当たり、人口総数に比較せばその九分九厘一毛を占む。また第一級及び第二級の貧乏人を合計せばその総数二万三百二人、これまたいずれも労働者階級の者にして、その割合は実に労働者総数の四割三分四厘、人口総数の二割七分八輪四毛であったという。これは特に経済界の好景気なりし一八九九年の調査なれども、その結果は実にかくのごときものであった。すなわち貧乏線以上に抜け出ることあたわず、肉体の健康を維持するだけの所得さえ十二分に得《う》ることあたわざる者が、全市人口のほとんど三割に近づきつつあることがわかったのである*。
* B.Seebohm Rowntree,Poverty:A Study of Town Life.
なおこれより先リバープールの商人にして船主なりしチャーレス・ブースなる人(氏は近ごろ永眠せり)は、少なからざる年月と私財の大半とをさいて、ロンドン全市にわたる大規模の貧民調査をしたことがある。そうしてその結果は『ロンドンにおける人々の生活及び労働』という大冊十巻の著書となって公にされ、その第一編は「貧乏」と題してあって、これは二巻から成り立ち、初めて一八九一年に出版されたものであるが、それで見ると、ロンドンにおける貧乏人の割合(百分比)は総体の人口の内で
最下層民(The lowest class) 0.9 % 細 民(The very poor) 7.5 貧 民(The poor) 22.3
となっておる。すなわちこれを合計すると全体の人口のうち三割零七厘だけのものは貧乏人だということになっておる*。もっともこのブース氏の調査は、先に貧乏線の何ものたるやを説明せし時述べたるがごときさまで正確なる標準によったものではないが、ともかくこの調査が発表された時には、それはロンドン市だけのことで、他の都会になるとよほど事情が違うだろうという説がもっぱら行なわれていたのである。ところがローンツリー氏がさらに物静かないなか町のヨークで調査を遂げてみたところが、前に述べたごとく、ロンドンにおける調査の結果とほとんど同じ事実が出て来たのである。
* Charles Booth,Life and Labour of the People in London. First series:Poverty.1902(1st ed. 1891) vol.2,pp20,21.
同じような事が続くのでおもしろくないが、話を正確にするために今一つ最近に行なわれた調査のことを簡単に述べておくが、これは一九一二年の秋から一九一三年の秋にかけて行なわれた調査で、その結果は統計学者のボウレイという人とバーネット・ハーストという人との共著になって昨年(一九一五年)公にされたものである。これは先に述べたローンツリー氏のそれのごとく調査の範囲を一都市に限らずして、なるべく事情を異にせる都市をば四個所だけ選び、それについて調査を行なったのであるが、場所によるとローンツリー氏の調査の結果よりもいっそうひどい成績が出た所もあるのである。すなわちローンツリー氏の調査の時は、第一級の貧乏人に属する者は全市人口の一割弱であったのが、今度の調査によると、レディング(スコットランドの中央東部に位する人口約八万七千の都市)では全市人口の五分の一(すなわち二割)、ウォリントン(イングランドの北西でウェールズに近き所の海岸に位する人口約七万二千の都市)では全市人口の八分の一が第一級の貧乏人であって、これらはいずれもヨーク市よりひどいのである。しかしノルザンプトン(イングランドの中部でロンドンの北西に位する人口約九万の都市)ではその割合十二分の一、スタンレー(ロンドンの西に位せる人口約二万三千の小都市)では十七分の一に過ぎなかったので、これらはヨーク市よりも良好の状態にあるわけである*。
* Bowley and Burnett-Hurst,Livelihood and Poverty,1915.pp.34-38.
かくのごとく都市の経済事情いかんによってその割合は必ずしも一様でないけれども、ともかく以上述べたる二三の例によって見る時は、世界最富国の一たる大英国にも、肉体の健康を維持するだけの所得さえもち得ぬ貧乏人が、実に少なからずおることがわかる。
なお以上述べしところは、ブース氏の調査を始めとし、すべて第二の意味の貧乏人(すなわち慈善工場その他救貧制度の恩恵の下に生活しつつある被救恤者《ひきゅうじゅつしゃ》は皆除外してあって、それは少しも計算に入れてないのである。してみると、いかに貧乏人が英国にたくさんいるかということがますますよくわかる。げに英国は世界一の富国というけれども、その英国には貧乏人がかくのごとくたくさんいるのである。
二の二
今日の英国にいかに多くの貧乏人がいるかという事は、私のすでに前回に述べたところである。今かくのごとき多数の貧乏人の生ずる根本原因はしばらくおき、かりにその表面の直接原因を調べてみるに、たとえば先に述べたヨーク市の研究によれば、第一級の貧乏人の原因別(百分比)は次のごとくである。(ローンツリー『貧乏』縮刷版。一五四ページ*)
主たるかせぎ人は毎日規則正しく働いていながらただその賃銭が少ないため 51.96 % 家族数の多いがため(四人以上の子供を有する者) 22.16 主たるかせぎ人の死亡のため 15.63 主たるかせぎ人の疾病又は老衰のため 5.11 主たるかせぎ人の就業の不規則のため 2.83 主たるかせぎ人の無職のため 2.31 * Rowntree,Poverty (Cheap edition),p.154.
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ことわざにかせぐに追い付く貧乏なしというが、右の表によって見れば、毎日規則正しく働いていながらただ賃銭が少ないために貧乏線以下に落ちている者が、全体の半ば以上すなわち約五割二分に達しているのである。なお四人以上の子供を有する者は、家族数の多いがためにという原因の方に編入されているのだが、もしそれを合計するならば、第一級の貧乏人のうち約七割四分だけのものは、毎日規則正しくかせいでいながら、ただ賃銭が少ないかまたは家族数が多いがために貧乏線以上に浮かび得ぬのである。そうして主たるかせぎ人の疾病または老衰のために、あるいはその無職のために、あるいは就業の不規則なるがために貧乏している者は、すべてそれらを合計するも全体の一割二分余に過ぎぬのである。
さらにレディング、ウォリントン、ノルザンプトンの三都市について(スタンレイは鉱業地にして事情を異にするのみならず、調査材料が少なきがゆえに除外す)、第一級の貧乏人の原因別(百分比)を見るに次のごとくである。(ボウレイ『生計と貧乏』四〇〇ページ*)
レディング市 ウォリントン市 ノルザンプトン市 主たるかせぎ人の死亡のため 14 6 21 主たるかせぎ人の疾病または老衰のため 11 1 14 主たるかせぎ人の無職のため 2 3 0 主たるかせぎ人の就業の不規則のため 4 3 0 主たるかせぎ人は毎日規則正しく働いていながら賃銭の少なきため 48 60 30 子供の数三人ならばさしつかえなきところを三人以上いるがため 21 27 35 合 計 100 100 100
* Bowley,Livelihood and Poverty,p.400.
前に引きし『生財弁』という書をひもとけば、「世間を見るに、貧乏も富貴も多くはおのが求めてするところにて、貧乏がすきか富貴がすきかといえば、だれ一人私は貧乏がすきじゃというて出るものはあるまいけれど、かせぐ事をきらいただ銭《ぜに》がつかいたいは貧乏を好むなり」など説いてあるが、著者もし今日に生きて、ローンツリー氏やボウレイ氏の著作を見るに及びたらば、おそらくその言を改むるに躊躇《ちゅうちょ》せざるべしと思う。私は去るころ近県のある小学校に行った時、学校から児童に渡されたところの「一日一善」と題する日記帳をもらったが、帰ってからそれを調べてみると、その日記帳の日々の余白へ格言ようなものが印刷してある。その一に
身のほどをしりからげしてかせぎなば
貧乏神のつくひまなし
という歌があった。また近ごろ『町人身体柱立《ちょうにんしんだいはしらだて》』(今より約百五十年前明和七年の開版)という本を見ると、(『通俗経済文庫』第一巻に収む)、その中にも同じような意味の歌がある。すなわち
身をつとめ精出す人は福の神
いのらずとても守りたまわん
というのであるが、これらの教訓歌は昔の自足経済時代ならばともかく、少なくとも今日の西洋には通用せぬものである。世間にはいまだに一種の誤解があって「働かないと貧乏するとぞという制度にしておかぬと、人間はなまけてしかたのない者である、それゆえ貧乏は人間をして働かしむるために必要だ」というような議論もあるが、少なくとも今日の西洋における貧乏なるものは、決してそういう性質のものではなく、いくら働いても、貧乏は免れぬぞという「絶望的の貧乏」なのである。
尋常小学読本を見ると、巻の八の「働くことは人の本分」というところに「働くことがなければ食物も買われないし、着物もこしらえられない。人々の幸福は皆自分の働きで生み出すほかはない。何もしないで遊んでいるのは楽のように見えるが、かえって苦しいものである」とあるが、日本の事はよるべなき正確な調査がないからしばらくおくも、少なくとも今日の英国などでは、これは誤解または虚偽である。今日の英国にては、前にも述べしごとく、毎日規則正しく働いていながらわずかに肉体の健康を維持するだけの衣食さえ得あたわぬ者がすこぶる多いと同時に、他方には全く遊んでいながら驚くべきぜいたくをしている者も決して少なくはない。何もしないで遊んでいるのこそ苦しいだろうが、いろいろな事をして遊んでいるのは、飢えながら毎日働いているよりもはるかに楽であろう。欧米の社会に不平の絶えざるも不思議ではない。
二の三
貧乏人の多いのは英国ばかりではない、英米独仏その他の諸国、国により多少事情の相違ありとも、だいたいにおいていずれも貧乏人の多い国である。たとえばハンター氏が米国の状態につき推算せしところによれば、私のいう第二の意味の貧乏人、すなわち各種の慈善団体に属する貧乏人はその数四百万人にて、さらに第三の意味の貧乏人、すなわちこれら慈善団体の恩恵により独立して生活しつつある貧乏人はその数六百万人、これらを合計すれば米国における貧乏人の総数は実に一千万人に達しつつあるという。(ハンター氏『貧乏』一九一二年、第十四版、六〇ページ*)。思うにかくのごとき事実は列挙しきたらばおそらく際限はあるまい、しかし私は読者の倦怠《けんたい》を防ぐため、もはやこの上同じような統計的数字を列挙するを控えるであろう。——私はこの物語をすべての読者に見ていただきたいとは思わぬが、しかしもし一度読み始められたかたがたがあるならば、こいねがわくは筆者の窮極の主張の那辺《なへん》にあるかを誤解せられざらんがため、これを最後まで読みつづけられんことを切望する。それゆえ私はできうる限り、読者を釣《つ》って逃さぬくふうをしなければならぬ。
* Hunter,Poverty, 14th ed., 1912. p.60.
ただここにおいてなお一言の説明を要するは、もし私の言うがごとく英米独仏の諸国にはたしてそうたくさんの貧乏人がおるならば、世間ではこれらの諸国をさして世界の富国と称しておるのが怪しいではないかという疑問である。思うにこれらの諸国がたくさんの貧乏人を有するにかかわらず、なお世界の富国と称せられつつあるゆえんは、国民全体の人口に比すればきわめてわずかな人数ではあるが、そのきわめてわずかな人々の手に今日驚くべき巨万の富が集中されつつあるからである。貧乏人はいかに多くとも、それと同時に他方には世界にもまれなる大金持ちがいて、国全体の富ははるかに他の諸国を凌駕《りょうが》するからである。
試みに英、仏、独、米の四個国について富の分配のありさまを見るに、実に左表のごとくである。(昨年刊行キング氏著『米国人の富及び所得』九六ページ*)。
* King, The Wealth and Income of the People of the United States, 1915, p.96.
次の表は米国の統計学者キング氏がその近業に載すところである。私はめんどうを避くるがため、氏がいかなる材料をいかに利用することによってこの表を調製するに至ったかの説明を略する。いずれにしても決して正確なものではないが、しかしだいたいの趨勢はこれによってほぼ看取し得らるる。試みにその一斑を説明せんに、右の表のうち、救貧民とあるは、私が先に述べた第一の意味の貧乏人であって、すなわち富者に対する貧乏人という意味である。この表では、全国民中比較的に最も貧乏なものから数えて、だんだんに上にのぼり、かくて全人口数の六割五分に達するまでの人員をばかりに最貧民としてこれを一まとめにし、さてその人数から言えば全人口の六割五分に相当するだけの者が現に所有しつつある富の分量は、はたして全国の富の何割を占めつつあるやを見たのである。しかしてその結果は、表に示すがごとく国によって多少の相違はあるが、まずこれを英国について言えば、その六割五分だけの人間が寄り集まって持っている富の分量は、全国の富のわずかに一分七厘(百分の二弱)にしか当たらぬのである。比較的に下層階級の富裕な米国でも、同じく全人口中六割五分だけの者が、全国の富のわずかに五分余りしか所有しておらぬのである。
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\ その階級の人々の有する富が全国の富に対して有する割合(百分比) その富の平均所有額(単位はドル) 最富者(全人口の二分) 英 71.7 181,610 仏 60.7 85,500 独 59.0 59,779 米 57.0 135,715 中等の上(全人口の一割八分) 英 23.7 6,670 仏 29.4 4,602 独 30.6 3,445 米 33.0 8,720 中等の下(全人口の一割五分) 英 2.9 979 仏 5.6 1,052 独 5.5 743 米 4.8 1,524 最貧民(全人口の六割五分) 英 1.7 133 仏 4.3 186 独 4.9 153 米 5.2v 381 右表のうちかりにドイツとなしおきしはドイツ連邦の一なるプロシャのことにして、またかりに米国となしおきしはアメリカ合衆国の一洲たるウィスコンシンのことである。
調査材料の年代は、英国、フランス、米国は一九〇九年にして、ドイツは一九〇八年である
[# 底本では表も棒グラフも縦書き、漢数字となっていますが、横書き、算用数字に組替えました。底本とは表示の形式が異なっています]
さて最も貧乏なるものから数えてまず全人口数の六割五分を取ったのちは、さらにだんだん上にのぼって、今度は全人口数の一割五分相当するだけの人員を一まとめにしてこれを中等の下となし、その次の一割八分に相当する者はこれを中等の上となし、最後に残れるもの、すなわち全国民中最も富めるものにして、人数より言えば全人口数のわずかに二分(百分の二)に相当する部分のものを、同じく一まとめにしてこれを最富者となし、おのおのの所有に属せる富の割合を算出したのである。
今中等の上を略し、最後の最富者の部分を一瞥《いちべつ》するに、人数より言えば全人口のわずかに百分の二に相当するだけのものたるにかかわらず、その所有に属せる富は、英国にあっては全国の富の約七割二分、フランスにあってはその六割強、ドイツにあっては五割九分、米国にあっては五割七分に相当しているのである。貧富懸隔のはなはだしきこと、かくのごとし。ひっきょう英米独仏の諸国が貧乏人の実におびただしきにかかわらず、世界の富国と称せられつつあるは、古今にまれなる驚くべき巨富を擁しつつある少数の大金持ちがいるためである。
[# 上記リストの英米独仏における富の分配にかかるローレンツ曲線グラフあり 省略]
[# 一家族の所有せる財産平均額比較図…立方体の大きさによる比較図 省略]
[# 上編(二の三)終り]