A 序論 (Introduction)

 日本の制度では所得税が最も重要な租税である。前会計年度(1948-49)の収入は千九百十億円で、その年の徴収税総額(四千五百億円)の四十%であった。1949-50会計年度において所得税は国税六千三百五十億円のうち三千百億円の税収を見込んでいる。これは国税収入の五十%となる。

 所得税は、全国の殆んどすべての世帯から徴収される大衆課税である。基礎控除及び扶養控除は最近相当の増額をしめしたけれども、しかしインフレーションは同時に納税者の所得金額を増加している。

 1943年[# 1948年が正しい?]のはじめ、所得税の基礎控除は四千八百円であった。扶養控除は、四百八十円で、これを最初の税率区分二十%で換算すると、大体二千四百円の追加控除を認めたこととなる。今日基礎控除は一万五千円であり扶養控除は千八百円、すなわち最初の二人の扶養親族については、一人の扶養親族に対し九千円の追加控除を認めている。給与所得者にとっては、これらの控除以外に勤労者として二十五%に相当する控除を受けることになるから控除が全体として三分の一増加するわけである。このように子供二人の既婚の給与所得者は、彼の給与が1949年には五万五千円を超過しない限り納税する必要はない。しかし大きい会社の半熟練工の一年を通じての月平均給与は一万円即ち年十二万円近くであろう。独身の給与所得者は彼の給与額が1949年に二万円をこえなければ納税しなくてもよい。しかし、小都市の小売店に働く売子に対しても月三千円かそれ以上支払われている。明かに所得税はまだ大衆課税である。

 日本は、政府を支えて行くため国民全体が支払う税として個人所得税を展開させるという大きな政策に着手した。他の大国で、この政策を採用して、ある程度の成果を納めたのは合衆国と英国だけで、しかも両国が成功したのもごく最近のことで、第二次世界大戦の試練に逢って始めて着手されたのである。(フランス、ドイツおよびイタリー税制の戦後の改革の成果について論ずることはなお時期尚早である)

 したがって、現行日本税制に関して最も重要な問題は、日本の国民一般が政府を支えるために所得税をその主要な手段として利用するという試みを継続すべきか否かにある。

 このような高遠な目的の真価については疑をいれない。もう一つの道は、一般国民が政府のためどれ程の寄与をしているか、その量をあいまいにし、寄与していることさえ気付かないようにしてしまう重い間接税の制度に帰えることである。そうなると、政府は、これら国民にとって縁遠い存在となり、国民は、時折政府の恩恵にあずかる以外、全くこれと関係のないものとなる。その上、間接税では適正に所得や富の懸隔および家族負担の差異を考慮に入れることがはできない。それは近代国家が必要とする高額の税を公平に徴収するにはあまりにも不完備な機構である。財政学の学究者は、永年にわたって税負担の分配にあたって税に対する意識を深め、税負担の公正をはかるため税制の改革を主張してきた。日本でも丁度同じことが始められたわけである。

 目的がいかに高邁なものであっても、これを達成しようとする熱意あるいはその技術的能力に欠けていれば、それを求めることは無意味である。この改革は日本国民の上に突如として起ったもので、それは1947年に始まったことなのである。会計経理と記帳の習慣は、決して充分な発達を遂げているとはいえない。
税を意識することは余りにも屡[# よみ「しばしば」]課税に対する反感という形をとる。間接税とインフレーションを通していかに多くのかくされた負担を負わされたか全然知らない中小所得の納税者の場合特にそうである。課税に対する反感は脱税を招来し、ひいては国民道義の頽廃をもたらす。所得税に広汎な脱税があり、しかも納税者の財産に対し差押えや競売を振りかざして独断的な更正決定をすることによって税を徴収するということは間接税よりもまだ悪い。

 過去四月間、わが税制使節団はこの問題を余す所なく論議し合った。われわれが全国にまたがる実地調査旅行をし、各階層の納税者、各階級の税務職員と会談したのもそれによって日本の所得税の将来という問題に対して正しい判断の下に解答を与えるためになされたのである。

 われわれは次のような結論に到達した。

 所得税を財政制度の根幹とする試みは継続されなければならない。しかし、一年や二年ではその目的を達成する訳にはいかないことを覚悟しなければならない。われらが可能だと思う速度で進展したとしても、政府に対し盲目的に反感をもたせず、国民を市民的自覚に立たしめ必要な税収を公平に分配するような所得税が日本で円滑に動く、弾力性のある財政機構になるのは五年あるいは十年後のことであろう。しかしこういったからといって、一年一年この方向へ堅実に前進することをやめていいという理由にはならない。毎年の所得税行政および徴税実績は前年よりもさらに顕著な進歩を示すであろう。
どの年度における後退も、その実験全体が失敗する可能性があることを示唆するものである。

 これからわれわれは本年度および来年度の税の見通しに入る。

 現在所得税は一方に脱税と他方に独断的な更正決定の危険にさらされている。それよりもっと危険なことは脱税と更正決定が一群の納税者 — 中小商工業者および農業者 — において他の群の納税者 — 給与所得者 — に比較して遥かに多いということで、これが不公平の主要原因となっている。

 これらの欠点を是正するためには幾つかの措置が採られなければならない。会計経理技術を向上させ、食糧管理当局からの情報を十分に活用し、更正決定に対する納税者の訴願手続を改善しなければならない。これらの改正は本報告において後に論ずることとして、所得税がその脱税や過重から解放される機会が与えられるとするなら税率の引下げと基礎控除および扶養控除の引上げとがもう一つの重要な要素となる。

 現在の高税率と高度の脱税は相俟って悪循環を生じている。納税者、特に営業者が自分の所得を過小に申告するのが通弊であると税務官吏は考えている。その結果、短期間に処理しなければならない申告書の洪水の中で、多くの税務官吏は実地調査や帳簿検査をせずに、事務的に納税者の更正決定を高く見積ってしまう。一方納税者はこれが官吏の通性であるように考え、正直に申告する気にならない。いずれにせよ更正決定されることを見越しているのである。もし所得税が存続するならば明かにこの悪循環を断ち切らなければならない。税率の引下げおよび控除の引上げはこれを断ち切るための第一歩である。
もちろんこれが唯一の手段ではない。税務行政も同時に改善されなければならない。(特に第十四章納税協力、税務執行および訴願を参照)

 われわれが勧告しているものは、所得税の平均(加重)税率を四分の一以上、実際は、三分の一近くも引下げることである。すなわち、われわれの勧告する税率および控除が特定年度、例えば1948年の所得に対して適用された場合には、これらの所得から得られる税収総額は、現行の税率および控除が適用されていたならば、その同じ所得から得られる税額の四分の三と三分の二の中間程度になるであろう。

 かように税率を大巾に引下げても、1950-51年度においては、1949-50年度の予算に計上されている三千百億円よりもその徴収が三分の一または四分の一減ずるのではなくて、僅かに七%しか減じないであろう。一つには、われわれが仮定する如く、所得が1949年度半ばに到達した水準を翌年および翌々年の第一四半期の間維持するならば、所得は1949年よりも1950年の方が若干高い平均を保つであろう。第二に1949-50年度の三千百億円の推計は、1948年から49年への所得の増加見込が控目になっていることに基いている。これは、また所得把握率の増加はなく、徴収歩合の増加も非常に少いという前提の上に立って行われたものである。確かに、これらの歩合についての極く控目な推計すら、1949-50年の数字が入手された場合には、余りに楽観的であったということになるかも知れない。しかし、われわれが長期の計画を立案するためには、この同じ歩合を用いることが最良のように思われる。本年はいかに不振であっても、来年は、税率を低くし、控除を上げて圧力を軽減すれば、改善向上が期待されるであろう。

 ここに勧告したように税率、控除を改正しても税収は、1949-50年度の予算に計上された額を1950-51年度には僅かに七%しか下回らないというもう一つの理由としては、過年度繰越分の支払によって未納税額が一掃し得るということが挙げられる。現会計年度に繰越される未納税額は、本年入るべきより多額の所得および税額から1950-51年度に繰越されるべきものよりも少額である。年々の収入増加のこの源泉は、1950年にわれわれの勧告するように税率が引下げられ、控除が引き上げられるとすれば、1951-52年には同程度のものではないであろう。新しい税率および控除による収入は、期待されるように所得把握率または徴収歩合が更に増加しない限りは、1952年までには、本年度の予算に計上されている三千百億円に対して七%以上下回ることが予想されるであろう。その結果、現在の物価、取引状態が持続し、賦課徴収水準が現状通りであるとすれば、本報告書において勧告した税率、控除を適用した場合の所得税収入は、二千七百八十億円程度に落付くものと予想される。

 しかし、これが窮極的に落付く点は、現在その量的効果を推定することができないいくつかの要因によって決定される。それらの要因のあるものは、来年にならなければ、わからない。税務行政の現在の発展向上は、所得把握率および徴収歩合をよくするであろう。1946-48年に採用された無経験な多数の職員が有能になるにつれて、税務行政に携わる職員はますます経験を積むこととなる。第十四章において述べるように中間段階において独立した租税調査機関が設けられることになる。また物価水準が安定し、統制が撤廃されるにつれて闇市場その他違法な申告されない所得の生ずる機会が減ずるに従って、税が合理化される。
また納税者がより合理的と考えるであろうような税率控除の下では、著しく納税協力が促進されるであろう。

 かような要因による収入増の一部は、同居親族の所得を合算する規定を廃止し、扶養親族の定義を緩和し、不具者に対する特別控除(本章E節)を認め、再評価(第七章A節)によって法人組織化されていない事業に対して減価償却の増加を認め、更に個人の受取る配当に対する控除を十五%から二十五%に増加する(第六章A節)勧告が採用されれば、相殺されるであろう。

 現在量的な表現を与え得る各要因を考慮すれば、われわれは現実に徴税が行われる課税所得は、1950年には、1949-50年の予算に計上された三千百億円の所得税収入の基礎となった所得に対して約十%増になるという結論に達するであろう。

 納税の協力と税法の施行をより高い水準に引上げるために、できる限り速かに、税率の引下げ、控除額の引上げに関する案を実施することが肝要である。しかし、国の財政的安定を動揺させることのないよう細心の注意を払わねばならない。

 従って、1949-50会計年度においては、所得税改正案の一部を実施し、しかも会計年度内の一部の期間内にだけ適用されるよう勧告する。具体的には給与所得者に対しては基礎控除および扶養控除の増加並びに税率の引下げは1950年1月から実施すべきことを勧告する。これによって一月以降における源泉徴収税額は減少することとなる。われわれは、また農業者、申告納税をする個人業者、自由職業者にも1949年10月1日から効力を発する十五%の勤労所得控除が与えられるべきこと、それが1950年1月に提出されるべき申告書に反映されるべきことを勧告する。
1950年以降の所得に対する申告書については、この控除は、税の申告書をできるだけ簡易化するために基礎控除と併合さるべきである。すなわち、基礎控除額は、勤労控除額分だけ、それがない場合に比して大となるであろう。給与所得者は、かれらの所得のうちにより大きな勤労所得的な要素があることに鑑み、同額の控除外に、別に十%の勤労控除を受けるであろう。

 所得税収入が税率の引下げ、控除の引き上げ、行政面の改善、徴収への協力の増進の結果が十分発揮されて、約二千七百八十億円の収入となったと仮定しよう。現行の1949-50年会計年度の収入見込額三千百億円が実現されたとして、これに比べて前者の税負担がいかに配分されているか検討して見よう。
 われわれは次のような変化を予想する。

 一 給与所得者は全体として納税が軽減される。現状においても、これらの納税者の納める所得税の部分は源泉徴収制度のおかげで脱税は余りないようである。従って低い税率とよりよい行政の下でこの階層からの税収は減るであろう。しかし、この階層の納税者のうちでもその種別により租税の軽減は量的に相当な差が生ずるだろう。独身の給与所得者は相対的に余り負担軽減の恩典にあずからないだろう。それに反し数人の子供をもつ既婚の納税者は相当恩典に浴することができる。このようになるのはわれわれの勧告する高い基礎控除、高い扶養控除及び低い税率の配合は独身者より既婚の者特に扶養親族を有するものにとってはもっと有利になるからである。しかし独身であろうと既婚であろうと、現行の法律で納めている税金より低い税額で(同一の所得に対して)すむわけである。

 二 申告納税者のうちで農業者は全体として現在の税金とほぼ同じ程度のものが課せられるであろう。かれらは税額引下の措置で利益を受けるではあろうが、われわれが受けた印象では農業者の申告には相当控え目な申告が行われたと思われる。そして、われらの勧告による所得決定および徴収技術が採用されれば、このような障害は除去されるであろう。農業者の間で相当広範な税負担の再分配が行われるであろう。各農業者は一定の地域平均によらず、でき得る限りその個人所得にもとずいて課税されるであろう。

 三 第三の階層即ち、申告納税の営業者及び自由職業者については変化が一番大きいであろう。これらの納税者は、全体として税負担軽減は当然望めない。たとえ税率の引き下げ及び控除の引き上げが認められてもむしろ逆の効果になるだろう。全体として、これらの納税者はかれらの正規の所得税を納める義務を広い範囲に回避してきた。税率の引き下げによって期待できる徴税及び協力の向上によってかれらの納税義務額の減少を補って更に余りあるようになるべきである。
 同時にこの一群の中で一部のものは税負担軽減の恩典にあずかることができることはいうまでもない。今まで正直な申告またはそれに近いものをしてきた納税者は非常な利益を受ける。かれは税率は引下げられ、独断的な更正決定から解放される。しかし非常に少く申告したために独断的な更正決定されてもまだ相当税を回避していたような納税者の場合は話は全く違う。かれは、新しい案の下では今の納税額より遥かに大きいものを支払わねばならないであろうが、これはもちろん日本の税務行政が更に向上することを仮定してのことである。

B 基礎控除および扶養控除 (Personal Exemptions and Allowances for Dependents.)

 現行所得税法の基礎控除額一万五千円は低きに失する。扶養親族一人につき千八百円の扶養控除額もまた同様である。

しかし基礎控除額及び扶養控除額を定めるに当って従うに足りるだけの精確な標準というものは存在していないのである。ある納税者層の主張によれば、控除額は、納税者の最低生活費、すなわち衣、食、住、医療費を十分カーヴァーできる程度のものであるべきであるという。この標準として彼等は最低十万円の基礎控除を提案している。しかし政府もまた根本的に生活に不可欠なものである。戦争によって資本設備に重大な損害を蒙り、しかも資源の乏しい日本のような国においては、普通所得の市民が十分な食糧衣服等の生活必需品を手に入れ、なおかつ十分な政府の便益を受けるということは、どう考えても、無理なのである。
 日本の生産力はそれほどには大きくない。このことは左の同じような事実の中にもあらわれている。基礎控除額を十万円までに引き上げればいかに税率の組み立てを操作してみても、巨額の赤字を出さぬだけの収入を得ることは所得税をもってしては不可能であろう。勿論この収入の減少は取引高税の増徴等の高率間接税によっって補填することもできようが、これでは生活必需品を課税除外としているのではなくて課税していることになるのである。それ以外の唯一の可能性は、ただインフレーションを継続せしめることであるが、これは特に低額所得者を圧迫することになり易い、隠れた課税形態に外ならない。

基礎控除額が妥当であるか否かを検討するには、基礎控除額を外貨、たとえば弗[# ドル]に換算し、この換算額を、その外国の現行基礎控除額と比較するという方法がとられることがある。今一弗三百六十円の為替相場として、基礎控除額一万五千円は僅かに四十一弗六十七仙[# セント]となってしまう。米国の所得税では基礎控除額は六百弗である。
しかし、かかる比較は、小額所得の納税者が購入する商品の自国通貨による価格及び問題の基礎控除額を得るに要する時間と努力の量の両者を看過するものである。たとえば日本で月給約一万円の者は、米国の月給約二百五十弗或いは三百弗の者と大体同程度の仕事をしているのである。日本の所得税の現行基礎控除額はこの半熟練労働者の一月半の収入に等しい。米国の基礎控除額は、米国の同程度の労働者の約二月分以上の収入に等しい。このように測定してみると日米両国の基礎控除額には大した差異はないのである。この方法だけが、唯一の測定方法ではないが、適切なものではある。

 新しい控除額を勧告するのに際して、われわれは次の目的に副うようにしているのである。(一)所得税はこれを日本における政府収入の主たる財源として維持すること。(二)しかし、税務行政の執行及び国民の協力を促進できるように税率を引き下げ、控除額を定めること、並びに現在の最低納税者層の重い負担を除去することがこれである。この目的に最も適合した控除額は左のとおりである。すなわち基礎控除額を二万四千円、扶養控除額を扶養親族(妻を含む)一人当り一万二千円とし、税額控除はこれを廃止する。

 税率の一般的な水準及び所得税から生ずる収入の問題とは別に、所得税をより公平且つ効果的な財政制度とするために行うべき幾つかの技術上の改革点がある。これら技術上の改革点のうちで、特に二つのものが税率の水準及び負担の全般的分配に関係している。この二つのものとは、扶養控除の方法及び勤労所得控除である。

  扶養控除

 現行の扶養控除は一人につき千八百円の税額控除の形式をとっている。
このことは、農業及び事業所得の課税最低限を、扶養親族二人までは、一人につき九千円の割合で、それ以上扶養親族を増加すればこれより若干下回る額だけ引き上げる作用をする。しかるに給与所得者に対する二十五%の勤労控除は、右の場合の換算所得控除額を一万二千円に引き上げる。

 われわれは、この税額控除を廃止して、一万二千円の所得控除とするように勧告する。これは、控除額の引き上げであるとともに、各種の納税者に対するその効果に若干の差異をもたせることである。給与所得者についていうと、勧告の勤労控除十%は、扶養控除をして、扶養親族一人当り一万三千百三十三円に引き上げることとなる。

 扶養控除をこの勧告どおりにすることはいくらかの利点があって、既成の遣り方を、納税者のよく知らないものに変更してしまうという不利を補って余りあるものである。

 第一に、基礎控除は、既に所得額控除制をとっている。納税者にとっては、所得税申告の際の控除方法を今までの二本建をあらためて、一本建にした方が便利となろう。

 第二に、所得控除方法は、扶養によって生ずる所得税額の差異を、所得額の増加するに従って増加させるものである。この結果、全体として特に、高額所得階層における大世帯と小世帯との間には税負担の分配がより公平なものとなる。一例をあげると、独身者と二子のある世帯主とがともに三万円の段階にある場合の税額のひらきが五千四百円であるとすると、両者が十万円の段階となったときにはそのひらきは五千四百円より多くなる。こういう結果は税額控除方式では生じないのである。上の二人の納税者の税額の相違は所得金額がいくらになろうとも依然として五千四百円なのである。
しかし、扶養控除が所得控除の方式をとるとすると、税額の相違は、十万円の段階では五千四百円よりも多くなり、更に高い段階となれば更に多くなるのである。

 所得額控除方法が、高額所得の納税者に対してみとめる扶養親族一人当りの控除額は同一扶養親族を有する低額所得の納税者に対する控除額よりも多額であるということから、税額控除の方法の方が所得控除の方法よりも、一層累進的な所得税方式であるという主張がしばしば行われる。しかし、所得控除にしたために、所得税がわれわれを満足させるほどに累進的でなくなるとしたら、かかる欠点は税率を少しく変化することによって容易に匡正できるものなのである。

 税率を変えただけでは、世帯の大きさによって相異なる税負担の軽重を調整することはできない。それゆえにこそ控除方式を敢て右のように選択したのである。

 第三に、地方団体に、所得税申告書に記載の控除後の所得額を、住民税の一部の賦課標準に利用させることは、既に別章において提案したところである。もし控除がすべて所得控除であるときは、この利用は遥かに簡単に行われるのであって、必要な数字は所得税のために提出された申告書の上に既に明らかとなっているから、別に算出する必要はないのである。これに反して、もし扶養控除が税額控除の方法だとすると、地方の住民税の課税標準を計算するために、更に計算が必要となるのである。

C 所得税の税率 (Rate Scale of Individual Income Tax)

一 税率の一般的特徴

 所得税の改正税率を作成するにあたって、われわれはある程度自分で課した制約自体に拘束されてしまった。

 第一に、歳入確保の必要から1950-51会計年度の所得税の税収総額は1949-50会計年度の見込額より約七%以上の減収を許されなかった。
われわれはこの要請に十分応えることができた、しかも本章A節において説明したように、実質的に所得税の四分の一以上の引き下げとなる税率と控除を提示することができた。

 第二に、もしいずれの納税者も現行法で支払っている税額よりも少い金額を納めるようにするのであれば、税率は後述するある技術的試練に堪えなければならなかった。

 第三に、五百万円以上の正味資産をもつ納税者に対して富裕税を払うべきことを勧告した第五章A節であげた理由から所得税の最高税率は五十五%以下に止めなければならなかった。

 その結果としてできた税率では、例えば十万円ないし二十万円の段階にあるものの限界税率が著しく高くなっている。日本と米国の税法を比較するため既存の為替(三六〇対一)で円をドルに換算するといった過った方法をとればこの印象はますます強められる。この点については基礎控除に関する本章B節の論説を参照されたい。しかし、事実われわれがここで取り上げている経済は、実質所得の平均水準が非常に低く、しかも一方には貧困にあえぐ一部のものが最底におり、多数のかなり富裕なものが相当数上の方にあるというのではなく、この平均水準のところに個人所得がほとんど集中しているような経済なのである。このような条件ものとで充分な歳入を確保しようとするならば、税率は相当の高さの水準から始めてかなり急激に上昇して行かなければならない。

 その上、この税率は表でみる如く急激なものではないことを想起すべきである。基礎控除と扶養控除(及び給与所得者の勤労控除)は累進税率を緩和する。
例えば三人の子供を有する既婚の給与所得者は、かれの純年収が二十一万二千円に達しない限り、四十%の税率の階層には入らない。最初の二万円は勤労控除によって除外される。二万四千円がさらに基礎控除として引かれ、その上に四人の扶養者の分として四万八千円が差し引かれる。残余の十二万円の中から五万円が二十%(税額一万円)次の三万円が二十五%(税額七千五百円)その次の二万円が三十%(税額六千円)そして最後の二万円が三十五%(税額七千円)の税率を課せられる。彼が更に一千円稼いだとすれば、それは四十%の課税を受ける。われらの勧告する税率によると、かれの所得二十一万二千円に対して三万五百円の所得税を納めることとなる。

 われわれの勧告にかかる税率は次のようなもので、1950年(1950-51会計年度)に二千八百八十億円の税収総額を捻出するように考案されたものである。

 控除 — 二万四千円に扶養親族一人当り一万二千円を加える。
 勤労控除 — 給与所得の最初の二十万円に対して十%

[# 表は漢数字を算用数字に置き換えました]

 四十五%で最高税率を止めた場合の減収は百二十三億円であり、五十%に止めた場合の減収は四十六億円となる。
この二千八百八十億円の概算は、次のことを前提とする。

 一 1950年には、1948年の所得に対して六十五%の増加を一律に見込んだこと。

 二 1948-49年度の徴収歩合が本年度も同じであること。すなわち申告納税者の場合は六十三・四%[# 英文は63.3%]、源泉徴収の場合は九十八・六%であること。

 三 1949年の所得に対して三百六十億円の過年度繰越分が徴収されること。前会計年度において課税はされたが徴収されなかった税総額1948-49年度の四百二十八億円及び1949-50年度の五百七十二億円のうち収入分はそれぞれ百五十八億円と二百八億円であった。両者ともその比率は三十七%見当であった。もし申告納税者の課税額に対し1949-50年度の徴収歩合が六十三・四%を維持すれば、(その場合本会計年度の所得税総額は三千二百四十五億円になるのだが次期年度に九百七十億の未納税額が残る。そのうちから約三十七%に当る三百六十億円の回収を見込むことはあながち不当ではない。

もし本会計年度において徴収歩合が早急に上昇し得るとすれば、来年度に持ち越される未納税額は減少し、従って1950-51年度に徴収される過年度繰越分は減少する。しかし、この徴収歩合の向上は1950-51年度にも持越されることが予想されるので、同年度における税収入は過年度繰越分の減収を補うに足る程度増加するであろう。

所得税負担比較(現行及び勧告案)
給与所得
(独身者)
(夫婦子供2人)

[# 表中の?は英文と和文が異なる数値となっている個所を示す。]

所得税負担比較(現行及び勧告案)
事業及び農業所得
(独身者)
(夫婦子供2人)

[# 表中の?は英文と和文が異なる数値となっている個所を示す。]

一 推計作成の方法 [# 二 では?]

 現在の所得税収入推計の背景は、次の表に提示される。

申告納税源泉徴収合計
1947-48年度
1949-50年度
予算の収入見込

[# 表中の数字は漢数字を算用数字に置き換えました。 表中の?は英文と和文が異なる数値となっている個所を示す。]

この研究に使用された推計を作成するにあたって、出発点は大蔵省が提出した1948-49会計年度の累積階層所得分布を示す表であった。これらの数字は、1948年に実施されていた税率に適用して最初に確められた。推計された扶養控除を差し引き、源泉徴収による納税者の控除は、1948年3月から1949年2月の期間にわたるように調整を加えた。そのわけは、右の期間が1948-49会計年度の収入として報告される期間であるからである。その結果算出された課税額は表の第十四行目に示されている。この算出された課税額は、表の第七行目に出ている実際に課税された総税額よりも僅かに数%高いだけである。

 1949-50会計年度の推計に移って、同会計年度の推計階層所得表が大蔵省によって提出された。この表から算出した課税総額は、第二十行目に示されている。これらの数字が正しければ、予算で見込んでいる現在の歳入が確保されるためには、申告納税所得税の徴収歩合は、第十一および第二十一行目に示されているように、1948-49年度の六十三・四%から1949-50会計年度の七十四%に引上げられなければならない。

 しかし、1949-50年度の所得階層分布表は1948年所得の実績の資料が入手される以前に、1949-50年度予算の一部として1949年のはじめに準備された推計に基くものである。従ってこの数字は、1947年の資料を基礎として1947年から1949年までの所得増加を考慮に入れて所得を約二・九倍したものである。これは1949年の推計所得が1948年の所得の三十五%増であることを意味する。

 しかし、1949年初頭からの趨勢は、1949年の所得が1948年の少くとも百五十%にはなることを示しているのであって、大蔵省の1949年の所得分布の基礎となっている所得推計は現在低過ぎるように見える。

 そこで、1948年の所得分布を使用して、1948年から1949年への増加を五十%と見込んだ別の推計が用いられた。この数字は第二十二行目に示されている。もし、かように算出された課税額に1948年の徴収歩合を乗じ更に1948年の実際課税額の算出課税額に対する割合を乗じると、その結果は、予算よりも約百二十億円も多い1949-50会計年度の推計税収が得られる。それ故1949-50年度の推計所得税収入は、課税及び徴収上の改善向上がないとしても四%程低過ぎるようである。

1950年には所得水準は、1948年の百六十五%となることを仮定することは妥当であろう。したがって、1948年の所得の六十五%増加を見込み、その上勤労控除を現行の十五万円までの勤労所得に対する二十五%から提案されている二十万円までの10%とし、基礎控除を一万五千円から提案されている二万四千円に改正し、扶養控除を税額控除千八百円から提案されている所得控除一万二千円に改正することを考慮に入れて、1950年度の所得階層分布表が作成された。

 これを作成するにあたっては、1948年の所得階層分布は、もし勤労控除がなかったとすればどうなるか、所得および所得水準が六十五%増加されたらどうなるかということをまず調整し、その結果をまた提案されている勤労控除十%を考慮にいれて再調整したものである。

 一申告ごとの平均控除は、源泉徴収の納税者にあっては一申告二・一人の扶養親族を仮定して四万九千二百円に、また申告納税の納税者にあっては一申告ごとに三・六人の扶養親族を仮定して六万七千二百円に別個に算定された。
そこで、提案さるべき各種税率に基いて推計額を得るために、源泉徴収の納税者について四万九千二百円、五万九千二百円等々の所得水準、また申告納税の納税者についても同様のものを推計し、かくして累積階層所得分布が計出された。その結果できた所得階層分布は、税率基礎Qと名付けられた。

 Vなる税率表を作るにあたって、三つの目的が調和されなければならなかった。最も確定した目的は、新税率によるいかなる名目的な税負担も旧税率による負担を実際超過すること避けることであった。

 控除が増加する反面勤労控除は減額される。もし現行税率が適用されるとすれば、給与所得者のある者は、勤労控除の引下げが他の控除の増加に比してより大きいために、税負担が実際増加することに気付くであろう。これは税負担を軽減する筈であった計画に非常な批難をもたらす結果となるから、少くともこのような事態が惹起されない程度に税率を引き下げる必要がある。提案されている扶養控除一万二千円は現行の税額控除千八百円よりその効果が遥かに大きいだけに、独身の給与所得者にとって問題は最も重大である。したがってV表はいかなる点においても独身の給与所得者の負担が加重されないように工夫されている。実際は五%ずつのきざみで増加し、しかも、妥当な累進性の形態を有する税率表を作るために、かなり幅のある負担軽減を独身の給与所得者にも与えられるようにしてある。しかし、この軽減の幅は、扶養親族のある納税者よりも独身の給与所得者の方が少くまた申告納税者よりも勤労控除を与えられている給与所得者の方が少いということは一般的にいって正しい。

 第二の目的はいうまでもなく必要な歳入を確保することである。このことは、V表によってちょうど達成できることとなる。
従って、必要な歳入を上げること少くともある程度の減税をすべての人に対しはかるということならびにまた勤労所得とそれ以外の所得の間の差異を十%に縮めることがそれぞれ必要なわけであるが、その間に処して、税率を操作する余地は非常に限られているのである。

 第三の目的は高額所得の税率を合理的な税務の執行が実施できる水準まで引き下げて置くことである。ここでは最高税率を五十五%で止めた。現行税法にあるごとく税率の累進が八十五%まで高められても、またこのような急激な税率が脱税額を増大しないと仮定してまでもそれによって得られる追加歳入は九十億円以下であることは注目すべきところである。最高税率を八十五%から五十五%に引き下げたことは納税者の協力および賦課徴収の水準をおそらく向上せしめるであろう。それによって階層所得の分布で示される九十億円の減収は恐らくもっと少いものとなるであろう。次の表とそれに続く図表は、すくなくとも高額所得の有効な発見か限界に達した現在、急激な累進税率の収入限度に対する理解を高めるのに役立つであろう。この表は、税率区分額の間にある課税所得の分布を示したものであって、所得階級によって所得額を示したものではない。例えば六万円の給与所得者は左から[#横書きに変更につき、下から、以下同じ]五行目の所に自分の所得全部を適用すべきではなく、その代り、先ず六千円を最終行に入れ(勤労控除十%)、九千三百八十億円の一部をなすところの二万四千円(扶養親族のないことを仮定した基礎控除)を左[# 下]から二行目に入れ、二万円を左[#下]から三行目すなわち「零から二万円」の階層に入れ、残余の一万円を二千九百五十億円の一部として左[# 下]から四行目の階層に(二万円から五万円)に入ればよい。

5,000以上55%2.52.5
2,000から5,000557.09.5
1,000から2,0005510.820.3
500から1,0005530.150.4
300から5005541.391.7
250から3005024.3116.0
200から2505038.0154.0
150から2004564.0218.0
120から1504042.0260.0
100から1203563.0323.0
80から1003067.0390.0
50から8025174.0564.0
20から5020295.0859.0
0から2020303.01162.0
基礎控除と扶養控除0938.2100.0
勤労控除0100.02200.0
2300.0

[# 表中の数字を漢数字から算用数字に置き換えました。 表中最下行 2300.0 は 2200.0 が正しい?]

 すなわち、提案にしたがって課税対象となる個人が申告を予想される額は二兆二千億円の中ほとんど半額は基礎控除(扶養控除を含む。)と勤労控除でしめられる。実際課税対象となる残りの一兆一千六百二十億円の半額以上が五万円以下の課税所得階層にある。三十万円を超える所得階層にあるものは十分の一に足らない。そしてこれはいずれにせよ五十五%で課税される。単に高額所得階層の税率を引上げても税収の大巾な増加は不可能であるのは明瞭である。実際に、税率を八十五%から五十五%に引下げることによって五十万円を超える水準の納税者の課税所得額が僅か二十%程度増えた結果を生ずるとしても、この増加額に対する税額は税率による減収を補って余りある。

 すなわち、その結果は、歳入増加であり所得税の実質的な累進性の増加である。所得に対し税率を百分の五十以上にすることに反対する理由は、所得税の高率の代りに、富裕な者に対して富裕税を提唱している第五章A節で詳しく説明されている。

 当分の間最高税率五十五%を勧告する。しかしわれわれは、富裕税が一度租税制度の一部として馴染まれ、信頼を得た暁においては、五十%あるいは四十五%を超えない所得税を採用できることを期待している。

D 勤労控除 (Earned Income Credit)

 日本の現行所得税法は勤労所得金額十五万円までについて二十五%の勤労控除を認めている。
勤労所得は、雇用に対するすべての報酬をいうが農業、自由職業または営業から生ずる所得は、これに含まれていない。この勤労控除の根拠として次に述べる理由が挙げられる。

 a 勤労控除は、個人の勤労年数の消耗に対する一種の減価償却の承認であること。

 b 勤労控除は、勤労による努力および余暇の犠牲に対する表彰であること。

 c 勤労に伴う経費に対し行政上の理由から特別な控除を認めることは、それが多くの場合普通の生活費とほとんど区別がつかないから、不可能であるため勤労控除は、余分にかかる経費に対する概算的な控除であること。

 d 給与所得は、その他の所得に比して相対的により正確な税法の適用を受けるのであるが、勤労控除は、それを相殺する作用を有すること。

これらの理由のうちで、最後に述べた理由は、税法を立案するにあたっては全く除外されなければならない。Bがその税金の一部を脱税することを予想して、Aの税負担がBの名目税額よりも故意に軽くなることが一旦認められれば、Bの連中は、Aと同じ立場を維持するためには脱税することは当然であるとの理由で、この脱税を正当なものとみなすようになるだろう。税務官吏も、またこれを黙認する傾向を有することとなり、この脱税が増加し、やがては租税の全機構が崩壊するに至るであろう。このような不公平是正するには、税率を恣意的に調整するという方法よりも税務行政を改善し、課税をより良きものとする方法が採られなければならない。

 a および b の項は、所得の大部分が財産の所有に基因するのでなく個人の努力によって得られたかという点において、農業所得および中小商工業所得にも、同様に適用さるべきである。c項がどの程度まで営業および農業に適用されるかは、他の算定所得や控除がいかに取扱われているかに依存するところが大きい。
農業者の現物所得が今の程度に、ほぼ完全に課税されるならば、給与所得者と同様に、勤労控除を要求する権利をもっている。いずれにせよ、c項の理由で控除を要求するにしてもそれは現在の勤労控除より相当少額になるのはまぬがれないであろう。

 現行の勤労控除にはいくつかの難点がある。

 a、勤労控除は、税の決定にあたり、特に勤労所得と不労所得が同一人に帰属している場合には余分の計算を必要とする。

 b、勤労控除が打切られた点において税率適用の段階に飛躍を生じる。すなわち、十五万円以下の勤労所得においては、所得が増加する部分については、税率は百分の三十に過ぎない。(所得の四分の三に対し百分の四十)、しかし、十五万円を超えるものに対して四十%、十六万五千円を超える所得に対しては四十五%と税率がはね上がる。

 c、勤労控除は、実際控除に不平等を生じ、正確に課税することが容易な納税者に比して、正確に課税することの困難な納税者の数を相対的に増加せしめる。従って、現行法においては給与所得者で二人の扶養親族を有するものは所得金額が四万四千円に達しない限り課税されないのに反して農業者や営業者で二人の扶養親族を有する者は所得金額が三万三千円に達すると課税される。このことは、もし控除額が双方とも三万八千円である場合に比較して農業所得や営業所得の納税者数が相対的に大きくなり、給与所得者の方が少いことを意味する。農業者および個人業者の申告を処理するのは比較的困難であるのに対し、雇用人の税金は税務署の仕事を相当はぶく、従って勤労控除は税務署に大きい負担を新たに加えることを意味する。

 勤労控除を全廃する主たる障害は、その場合当面の歳入の必要から、給与所得者に新たに負担を加えない程度に税率を引下げることは不可能になるということである。

 以上の点を勘案して、われわれは勤労控除を撤廃すべきでないと結論する。しかし勤労所得の最初の二十万円までに対しては十%まで引下げるべきである。同時にこの報告の他の個所で勧告されるであろうが、すべての給与所得者を含むすべての納税者が現行の納税額よりも少く支払ってすむ程度に、税率は引下げられ控除は引上げられる。その結果現行の勤労控除二十五%のうち、十五%がすべての納税者に拡張され、ただこの十五%が別途に設けられる代りに、税率および控除のうちに吸収されるわけである。

 実際この農業および営業所得に対する現行の不当な差別待遇を除くことは、非常に好ましいことでこの措置を1949年10月1日に実施すべきことを勧告する。納税者および税務行政の衝に当っているものが妥当と考える水準まで税率を引下げることによって、租税の賦課徴収の能率を増進する余地のあるところは主としてこの農業所得および営業所得の分野においてである。勤労控除が今のように、不当に高率である以上は、源泉で徴収される納税者に比べて、申告納税者の負担を軽減するため、その申告書に所得をいく分過小に申告することは当然であると納税者なり税務官吏なりが考える傾向は依然として存在する。
このような事態が長く継続すればする程、完全な申告と公正な課税に基く健全な所得税機構を再組織することは一層困難となる。1949-50年に計画されている剰余金に支障を及ぼさない限り現在二十五%の控除を受けているもの以外の全納税者に対し最高三万七千五百円まで、勤労所得の一五%の勤労控除を認めるという形で右の軽減を行うことを勧告する。

 この控除の都合上、その源泉の如何を問わず二十五万円までの所得をすべて勤労所得とみなせば全体として一番簡単でありそう大して不公平でもない。しかし、もし配当、利子所得および納税者の個人的労力が支出されなかった資産および事業から生ずる所得に対し控除を認めないで負担を引受けることが望ましいならば強いてこれに反対はしない。しかしこれは純然たる臨時的調整の企図で設定されたものを不必要に複雑化するように見える。いずれにしてもこの控除は給与所得者の十五%分とともに1950会計年度には税率の引下げ控除の引上げの中に吸収され、ただ給与所得者に対する百分の十の控除のみを残すこととなる。また繰り返して強調するが、この措置でわれわれは源泉徴収に比して申告納税によって徴収される税収の相対的量を名目的な税額の引き下げられる程度にまで引き下げる意図はない。われわれは、納税者の協力を高め、税務行政を改善してこの名目的な税額の減収を相当埋合わせることができると期待している。今直ぐでければ、今後二,三年の中にできるであろう。

 主として実直な納税者の負担が軽減されることおよび怠慢な滞納の多い納税者をして政府の費用を負担すべき彼等の公平な負担量にできるだけ接近させることは可能だとわれわれは考える。
 もしわれわれのこの望みが達成されれば健全にして、公正であり、且つ能率的な租税制度の窮極的な発展えの道は日本のために拓かれるであろう。

E 世帯単位の取扱 (The Treatment of the Family as a Unit)

 日本の現行所得税法では、同居親族の全員の所得は累進税率を適用するために合算することを要とする。この措置は形式的には伝統的な日本家族制度に従うものである。しかし実際においてはこれは幾多の好ましからざる効果を伴っている。

 a 所得額を合算すると、同一の生活水準、同一担税力水準にある納税者に適用される税率よりも高い税率で課税されることになる。それが税負担の不公平な分配であることは広くみとめられているところである。納税者は不満を感じ納税道徳は悪化する。

 b 税負担の増大は、大世帯を小世帯に分解する人為的誘因をなしている。かかる変化が実際に税によって誘発される場合は比較的少い。とはいえ、税負担の差別によってかかる圧力を加える正当な理由は存在しないであろう。全く、非常な住宅難というのに、若干の家庭が不必要に多くの住宅を占領して他人の家の混雑を激化させるような圧力は就中望ましいことではない。

 c 二以上の納税義務者が現実に同居の親族の関係にあるか否かを判定することが困難な場合が多く、基準の適用は統一を欠いている。このことは差別取扱の結果に終り、税務行政の運営を混乱させ、納税者の不満を招く。

 d 税額を決定して、これをいろいろな世帯員に按分するという手続きは複雑であって時間を浪費する。
 特に世帯員の誰かが源泉徴収を受けている場合には、明細を算出するために税務署に行くことが必要となってくる場合がある。

 したがって、同居親族の所得合算は、これを廃止して各納税者が独立の申告書を提出し、他の所得と合算することなく各人の所得額に対する税額を別々に納めさせるように勧告する。しかし、扶養控除が行われる場合には、扶養親族と主張されている者の所得は納税者の所得に合算しなくてはならぬ措置を講じておくのは適当である。

 しかし、この個別申告制にある程度の制限を設けておかないと、要領のよい納税者は、配偶者または子供に財産およびこれから生ずる所得を譲渡することによって税負担を軽減しようとするから、相当の問題の起ることが予想される。同様にして、かれらは妻子を同族の事業に雇用して、これに賃銀を支払うという抜け道を講ずるであろう。納税者と同居する配偶者及び未成年者の資産所得はいかなる場合にも納税者の申告書に記載させ合算して課税することによってこの種の問題は避けられるのであるが、これは個人申告の原則を大して犠牲にするものとはいえまい。同様にして、納税者の経営する事業に雇用されている配偶者および未成年者の給与所得は、納税者の所得に合算させるようにすべきである。

 現行法では、扶養控除を受ける扶養親族は、幾分狭目に限定されていて、納税者の配偶者とかれの親族のうち、六十歳を超えて働けない者又は十九才未満の者に限られている。成年の世帯員が納税者と生活をともにし、その農場又は事業に労働を提供して生計費を受けるような場合には、かなり困難がある。実際かような世帯の構成員には、全然人的控除が認められない。

 納税者が、その課税所得と彼が扶養控除を申請する者の受取る所得とを合算しなければならないという条件で、納税者から生計費の半額以上を受ける者に対しても扶養控除を認むべきであることを提案する。これは、容易に適用され得る簡単な規則であり、扶養親族の所得が合算されねばならないという規定がよく歳入の減少を防ぐであろう。税務行政上の措置としては、扶養控除の申請を受ける成年者は、その所得が申告書に合算されており、しかも他の申告書には扶養親族として申請されていないことを明らかにする意味において、申告書に署名捺印するようにすべきである。

 納税者が、自分のために働き、従って別個に申告書を提出して二万四千円を一杯に控除できる成年の世帯員に対して給料を支払う手続を形式上とる誘因は今なお存するのである。かれらがかようにすることについては原則として反対しないが、但し、給料の支払はそれを受ける本人の現実の収入にならなければならない。このことは現在のところ一般的な慣習とはなっていないようであり、また扶養控除の緩和を図ることは、旧来の慣習を固執する者に対する差別待遇をある程度より緩和した水準まで減少せしめることとなる。
これより更に進んで、より大きな控除をかかる成年者たる扶養親族に認めることは、税務行政上問題を加えることとなり、同時にまたそれは多くの場合事態が必要とする以上に控除総額をより大きなものとし、特に扶養親族がその家族の財源中二万四千円程度のものに対して十分支配権を存しない場合において然りである。

[# 第四章おわり]