第六章 法人
(CORPORATIONS)
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- A節 普通法人税
- B節 非課税規定の廃止
- C節 法人の事業年度
- D節 法人数
- E節 法人相互間の配当
A 普通法人税 (Ordinary Corporation Taxes)
法人は、歳入増加の財源を求める立法者にとってある宿命的な魔力を常に振うものである。法人は、擬人であり、大抵の場合他の種類の納税者程強い政治的な主張を唱える能力もないのである。株主は、比較的少数であり、かれらですら、租税の影響を直接には感じないものである。従って日本のみならず多くの他の国においても法人に対しては殆んど経済的な根拠または理論らしいものすらなくして、単に、それらが政治的にみても支配的であり、税務行政上も容易であるうえに多くの収入を挙げるという理由から、重い課税が行われている。日本の法人に対する税について実に驚いた主な点は、それらが合理的な形態に従っていないということではなくして、僅かしか収入を挙げていないということである。
しかし、根本的には法人は、与えられた事業を遂行するために作られた個人の集合である。法人が不当に大きくならないこと、また法人が法令に適当な注意を払いつつ運営されるということを前提とすれば、元来、個人を奨励して法人形態を利用させる理由もなければ、また個人を脅かして法人形態を利用せしめない理由もないわけである。従って普通には、個人企業形態による事業よりも甚だ重い税を法人形態による事業に課すことは適当でない、またその逆も適当ではないのである。このような差別待遇は、実際生産に最も能率的な形態または組織から離れさせ、税負担のより軽い形態または組織の方向へ向わせる動きを惹き起すことによって経済活動の能率を害する傾向があるのである。
すべての法人がその利益全体を直接配当の形で分配し、納税者が受取った配当を完全に申告するならば、問題はないであろう。かりに法人の利益が関係株主の所で課税されるとする限り、法人に対しては、いかなる課税も行う理由はないであろう。しかし法人は、以上のように直接に全部の利益を配当しない。結局、もし法人に対しては課税されず、利益が配当されるときにのみ個人たる株主が課税されるとするならば、個人企業に比して法人企業が有利となるように差別待遇されることになる。個人企業の所有者は、個人所得税をその利益について一時に納付しなければならないが、法人の株主は、利益が長期間経過後に始めて生ずる配当の形で実際に分配されるときにのみ個人所得税を納めれば足りるのである。
この配当が非常に長く延期されるならば、それに相当する個人所得税の延期は殆んど課税を完全に放棄するのと同様の特典となるであろう。更に、本報告書の他のところで勧告されているように譲渡所得を全部課税所得に含むということをしないならば、株主は、その個人所得税を更に一層減少することができるのである。すなわちかれは、配当を貰うよりもむしろ自分の株式を売り、譲渡所得の形で法人の留保利益の分前を得てしかもより軽い税を支払うことができるのである。
法人とその他の企業形態との間に、殆んど完全に区別をなくす税制を立案することも可能である。しかしこのような制度は、極めて複雑である。この複雑さのために税務行政と納税者の協力は、一層有効でなくなり、その結果として、理論上主義に厳密に固執することによって避けられる不公平よりも一層大きい不公平を生ずるであろう。しかし、法人企業と他の企業の間の公平に非常に近づくことができ、しかも同時に個人所得税の重大な脱税を防止する簡単な要素の組合わせを選ぶことは、可能である。
この目的のために提案する組合わせは、次の三要素から成る。
(一) 現在と同様、各法人の純所得に対して三十五%の税
(二) 個人たる各株主に対しては、その個人所得税に対して(一)によって課税された法人から受け取る配当の二十五%相当額の控除(もちろんこのような配当は、その税金の計算の際株主の純所得に含まれることを前提とする。)
(三)1949年7月1日以降開始する事業年度の純益から累積される留保利益合計額について法人に対して毎年一%の利子付加税を課すこと
最初の二項目は、それぞれ法人の利益に対して有する株主の持分に対して定率で大ざっぱに源泉課税を行うことと個人たる株主が申告する際に、その源泉課税に対して大ざっぱな控除を行うことから成っている。全利益が株主に配当される場合には、(三)項は、適用されないで、以上の二要素だけが働くであろう。このように利益全部が配当されるときには、五十三%を越える限界の税率の適用を受ける個人たる株主は、課税前の法人利益の持分に等しい利益を有する個人企業主であるよりも僅か有利であることを発見するであろう。又五十三%又はそれ以下の限界税率の適用を受ける株主は、個人企業主であるよりも若干不利だと思うであろう。たとえば、法人が百万円の純課税所得を有し、まず三十五万円の税金を支払い、残りの六十五万円を配当して流出することを申告したとする。
この場合、等額の十人の株主がいて、各人が六万五千円を得たとする。もし六十%の最高税率(所得を課税標準とする地方税の結果を考慮して想定したもの)の適用を受けるならば、この配当は、かれの総税額を三万九千円だけ増加せしめるであろうが、かれは別に六万五千円の二十五%控除即ち一万六千二百五十円の税額控除を得ることとなろう。従って、彼自身の正味の税金は、二万二千七百五十円だけ増加し、税引後の正味の所得の増加は、四万二千二百五十円となるであろう。他方、かれが個人企業者であって、その利益が法人の利益に対する十分の一の持分に等しい金額即ち十万円だとするならば、この金額に対して六十%の税率で課税され、残りは、四万円だけとなるであろう。
もしも、株主が四十%だけ課税されるのであれば、彼の総税額は二万六千円だけ増加するが、一万六千二百五十円の控除を受けて差引五万五千二百五十円の所得が正味増加することとなるであろう。もし、かれが個人企業として十万円の利益を得たとするならばかれには六万円残ることとなるであろう。従って法人企業および個人企業間の課税上の差別待遇は、若干残るには残るが、その差額は、かなり小さくなっているように思われるし、しかもその差額は少くとも法人企業の方が多い場合もあるし、また個人企業の方が多い場合もあるといった風に常に同じ方向にないのである。利益が全部配当される場合には、差別は、個人所得税を計算する方法を若干入念なものにすることによって完全にこれを除去することができる。勿論、このような方法は、長らく英国において用いられて来た。しかし、英国の方法ですら利益が全部配当されないときには、若干の差別を残しており、専門家でない人にとっては少し煩わしいような計算をすることを株主に対して必要としている。それ故に、より簡単な方法を採用することが少くとも当分のうちは全体として最善と考えられる。所得税が円滑に運営されるときが来れば、英国式方法または法人企業および個人企業間の負担を公平にするなお一層洗錬された方法に移ることを考慮することが適当であろう。
われわれの法人税改正案の第三の要素は、留保利益の累積額に対する利子付加税であって、これは、法人が利益の全部を配当として分配しないときにのみ適用される。しかし、これは、いかなる意味においてもこのような蓄積に対する罰金でもなけらばまたなんら租税について考慮もない場合に蓄積されるであろう程度以上にこのような蓄積を抑制する効果を有してはならない。むしろこのような付加税がなければ、個人たる株主に所得税があるため経済的理由から望ましい範囲を超えて法人内部に留保を増加しようとする積極的刺戟が生ずることとなる。提案された付加税は、株主に所得税が課税されるために利益を留保しようとするこの圧力と大体において平衡を保つことを目的とする以外のものではないのである。
例を挙げると一定の法人株主が、税率五十五%の階級区分で課税される所得を有するとするならば、原則として各株主は、その法人の利益に対してその五十五%の税を現在負担すべきである。利益がすべて配当されるならば、実際その利益は五四・五%の税を負担するであろう。この五十四・五%というのは、法人利益各百円に対する三十五円の法人税に、配当として分配された六十五円の五十五%の個人所得税即ち三十五円七十五銭を加え、これから二十五%の控除即ち十六円二十五銭を差引いたもの即ち利益百円当り五十四円五十銭の全税額からなるものである。しかし法人が、配当の支払を延期するならば、当初支払う税は、僅かに三十五円である。利益が後年になって配当として分配されるならば、十九円五十銭の税金を追加して、支払われるべきであろうということは間違いがない。しかし提案している利子付加税が課税されない場合には、その間、納税者と法人とが、この十九円五十銭を実際無利子で使用したことになるのである。この場合、六十五円の留保利益に対する毎年一%即ち毎年六十五銭になる利子付加税の負担は、この十九円五十銭の使用に対する一年三・三%をほんの僅か上回る控目な利子負担を示すものである。
この利子負担の重さは、延期されたと考えられる税額によっても若干変更する一方また個人たる株主が適用を受ける税率によっても変わるであろう。例えば、その株主が、税率四十%の所得階級区分にあるとするならば、即ちかれに六十五円の利益が直ちに配当されたならば、九円七十五銭だけ追加した税金を支払うであろうような場合には、一年六十五銭の付加税は、六・六%を僅かに上回る利子負担を現わすこととなるであろう。一方株主が六十五%(本報告書の他の処で提案されている五十五%の税率に地方付加税を加えたときに生ずる場合があろう)の最高税率の適用を受けるとするならば、延期された税金は、二十六円となり、予定された利子率は、僅かに二・五%に過ぎないであろう。しかし、種々様々の個人所得税の税率を調整することは、殆んど見込のない程の複雑な税金となるであろうから、大雑把な平均を工夫することで満足することが必要である。この予定された利子付加税は、非常に重いように思われるような場合には、普通は法人にとっては株式配当を行って留保利益を資本との適当な割合を動かして直ちに個人の面において納税義務を生ぜしめ法人に対する利子付加税をそれに応じて軽減または除去することができるであろう。
しかし、この付加税をもってすら、最高所得階級の人々にとっては、法人形態を利用して、自らの納税義務をのがれる機会が若干残っている。普通の法人に対する付加税率を最高階級区分の個人の場合に適当な利子負担となるように高く定めることは、より小額の所得階級の株主の場合に、不適当な負担を課すことを意味するであろう。従って、収入を確保するのみならず企業の能率よき運営に不適当な資産構成の発展を避けるために法人のこのような弊害を除去する若干の特別な手段が必要である。
これを行う最も簡単な方法は、ただ所謂「同族会社」の留保利益に対してより高い税率の付加税を適用することである。すなわち、たとえばかりに税率を同族会社に対しては一%でなく六%[#英文は九%]とすれば、六十五%の税率の適用を受ける納税者にとっても延期された税に対する実際の利子負担は、十五%となるであろう。これは、この方法による税額の不適当な回避を防止するに適当であると思われる。他面、回避が大した動機でなく、納税者が何らかの理由で利益を分配することによって付加税の適用を防ぎえない場合においても、その負担は、なお過酷とはならないであろう。
この目的のためには、同族会社の定義は、数個の世帯の構成員たる納税者によって直接又は間接に株式の大部分が所有されている会社とすべきである。
たとえば、同族会社は、五つ以下の世帯が、少くとも五十%以上、四つ以下の世帯が、四十%以上、三つ以下の世帯が四十%以上、二つ以下の世帯が三十%以上又は一世帯が二十五%以上所有しているものと定義すべきである[# 英文、和文とも世帯数と%の対応数字がずれています。両方参照してください]。このためには、世帯のうちには、個人納税義務者本人の他に、かれの子供、父母、兄弟姉妹、及び彼等の配偶者並びに以上の者の扶養親族として申請された右以外の者が包含される。一同族会社がその株式を所有している法人にこの原則を適用するためには、一同族会社は、一世帯とみなされる。税の回避が問題となっていない場合に、小同族会社により高い税率を適用することを避けるためには、留保利益の最初の五十万円程度には普通の一%の税率だけを適用することが望ましいであろう。従ってこのより高い利子付加税は、税金を不当回避することを防止するに実際必要である場合に限って適用されるであろう。
法人課税においてこれら三要素を矛盾なく適用すれば、国税の面において法人に対してはこれ以上課税する余地はない。
超過所得税は、当然廃止さるべきである。「超過所得税」の課税標準が資産の現在価値と何等関係のない帳簿価格である現状においては、このような利潤に超過所得税を適用することは確かに人を愚弄するものである。また、たとえ再評価後においても改訂された帳簿価格はいかなる利潤が実際的且つ経済的意味において「超過」であるかを決定する確実な指針とは一般的にはならないであろう。
実際、超過所得税は、誰でも承認する筈のもののように聞えるが、「異常」という言葉を税法を実施するためにとって必要な程度の厳密さで定義することは、事実不可能ではないにしても非常に困難である。少くともこれは、日本の事業活動が現在まだ不合理であり且つ迅速に変化しつつあることを考えると正にそういえると思う。
更に法人が清算したときに徴収されている税金は継続する必要はない。これに関する正当な取扱は、清算後の残余財産を二の部分すなわち留保所得に該当する部分と法人の資本に該当する部分とに区別することを必要とする。留保所得に該当する部分は、あらゆる点において配当として取扱わるべきである。すなわち全額が受領者の課税所得に包含され、その個人所得税に対する控除として二十五%の金額が認められるべきである。法人の資本に該当する部分は、株式処分の結果として取扱わるべきである。実現された価格と株式の取得費用との差額は、譲渡所得又は譲渡損失として取扱わるべきである。この税を実効あらしめるためには、留保所得がまず第一に株主に分配されたものとみなされるべきであろう。もちろん、配当の取扱いは、既に法人税を課せられた分配部分についてのみ認められるべきであろう。
現在、法人税の外に、法人は、株主に支払った配当から二十%の税を源泉徴収する必要があることになっている。申告する株主は、その個人所得税から配当に対する十五%の控除の外に、この源泉徴収分の税額を控除することができる。しかし法人税三十五%と二十五%の控除の理論全体は、法人税を法人の利益に対する株主の持分に対する大雑把な源泉徴収の一形態であると取扱うものである。そこで、源泉徴収の第二のしかも異った形態があるということは、論理的でもないし、また必要でもない。従って、法人による株主に対する配当に対する源泉徴収は、これを廃止することを勧告する。もしも三十五%の法人税が、それだけでは源泉徴収の方法として不充分であるということがかりに真実であるとするならば、税制に他の複雑さを加えるということよりも、この三十五%の税率を増加することの方が、適当な救済策となるであろう。
この清算に関する取扱は、公平な課税となるのであって、譲渡所得が、本報告書の他のところで勧告しているように完全に課税されるべきであるということを仮定するならば、脱税の余地は、大してなくなるであろう。このような所得に対して個人所得税を完全に免税している法人の清算所得に対する定率課税は、これが廃止されない限り甚だ煩雑な脱税に対して広い通路を開いていることを示すことになる。
この法人税の構成全体は、譲渡所得が完全に個人に対して課税されるという前提に基礎を置いている点を再強調する必要がある。
このことができず、従って早かれ遅かれ全所得が、配当されると配当されないとを問わず、個人所得税が課税されない場合には、この計画全体は、無効となるであろう。もちろん譲渡所得を個人の課税所得に完全に含ましめることができなければ、多くの点において非理論的でなく、気まぐれでもなく、差別待遇的でもない法人税の改正案を立案することは、殆んど不可能であると思う。
B 非課税規定の排除 (Removal of Tax Exemptions)
法人税を課せられない法人の数は比較的多いようである。総司令部経済科学局調査計画課の調査によると1949年6月30日現在日本の法規に基いて設立されている法人の数および種類は次の通りである。
株式会社 | 159,280 |
株式合資会社 | 92 |
合資会社 | 82,880 |
合名会社 | 25,455 |
有限会社 | 44,624 |
相互会社 | 26 |
普通または課税法人小計 | 312,357 |
財団法人 | 5,776 |
社団法人 | 4,787 |
非課税法人 小計 | 10,563 |
特別法人 非課税、但し協同組合として25%の税率の他に超過所得税が課税されるものとして報告のあったもの約四万九千 | 297,243 |
計 | 620,163 |
[# 表中の数字は漢数字を算用数字に置き換えました。また、表が二段組となっていたのを一段に変更しました。]
右の集計においては、法人の解散は、考慮されていない。このうち一部の法人は1949年6月30日以前に解散したものもあるが解散の届出をなさなかったものと考えられる。目下かかる未報告の解散に関し、その範囲がいかなるものかを判定するための努力が払われている。本調査によると日本における法人の相当数が法人税を全く免除されていることが明かとなる。これらの非課税法人の多くは民法第三十四条の規定によってその非課税となるべきことを認められているが、同規定は宗教的行事、宗教、慈善、科学技術、その他公益目的に関する社団および財団法人を主務大臣の許可を得て設立できることを認めている。
都道府県知事もまた主務大臣に代って特定の非課税法人を定めることができる。同様に1938年の社会事業法は失業者および身体障害者を授産事業によって保護する目的を有する非課税法人の設立を認めている。この他に、従業員の半数が救助を受けている場合には、都道府県から補助金が交付される。1948-49年度において、補助金の八十%は国によって支払われた。
かかる法人に対する非課税の取扱いは、特にその設立後における活動に関し、なんら監督が行われていないから、速やかに調査検討を要することは現地調査の結果明かとなっている。事実、現行法のもとでは、大蔵省はかかる免税を付与することに対する監督権をなんら有しないし、またかかる法人の活動を事後審査するいかなる権限をも有しない。このような事態を是正するために、租税法規は、まず法人が租税を全部または一部免除されて運営され得る目的および趣旨を明瞭且つ具体的に規定するよう改正さるべきである。而して大蔵省は、法人がかかる法的免除を付与さるべきか否かを決定する唯一の権限を与えられるべきである。免税を要求しようとする一切の法人は免税証明書の交付を大蔵省から受けることを必要とすることとすべきである。これは、現在免税を認められている法人をも含む一切の法人が必要とするとすべきである。免税の資格は、当該法人の過去の活動が関係法規のもとにおいて免税を認められるべき理由があるかどうかを判定するためにに、三年毎に審査されることになるであろう。
現在では、法人税法第十八条は、宗教法人および労働組合の収益事業に関して申告し、その利益については納税しなければならないことを規定している。この規定は、非課税法人を含むあらゆる法人が毎年その一切の収入および支出を網羅する申告書を提出するようその適用範囲を拡張すべきである。非課税法人の使用する申告書は一般法人および個人の使用する申告書の色、または帳簿を備える法人化されていない企業の使用する青色の申告書以外の色を用いることが好ましい。
多くの非課税法人が収益を目的とする活動に従事し、一般法人並びに個人と直接競争している。もし利益がなかったとすれば、または非課税法人がその利益を全部分配したとすれば、非課税法人の収益事業は、さして重要な問題とはならない。なんとなれば本報告の他章において株主が所得税と法人税を統合し、課税される内国法人から受けた配当の二十五%を課税所得から控除することを認められるべきことが勧告されているからである。従って結果においては、課税における差別取扱は比較的小さなものとなる。しかしながら、現地調査によると、このような非課税法人の上げる利益金はその活動を更に拡張するかまたは饗宴のために消費されていることが明らかされている。而してそのいずれもが免税を正当化するためには極めて薄弱乃至全く無価値なものである。非課税法人の収益事業によって得られるこの所得は、明らかに法人税の課税対象となるべきである。ここにおいて注目すべきことは改正地方税法第六十三条は法人税を免除されている一切の法人には事業税を免除しているが、収益を目的とする事業からの収入は、これを免除していないことである。この所得に対しては事業税が賦課されるのである。
都道府県または市町村によって運営される非課税法人が若干あるがその事業内容は次の通りである。
電気、ガス、水道、交通、火葬場、屠殺、葬儀、墓地、公共市場、劇場(映画館を含む)、図書館、病院、旅館、浴場、貯水池、種子、公会堂、宝くじ(くじの一種)、競馬、自転車競争、
これらの事業の大部分は専ら公益のためのものであり、従って、所得税を免除されるべきものと考える。これらの法人のどの一にも課税することは国の行う事業に対して地方団体がなんら課税していないので国と地方団体との相互関係に触れる問題を惹起する結果となる。しかし、かかる政府または地方団体によって運営されている法人をその収益事業についてどの程度に課税さるべきかを決定するために或る程度検討すべきことはもちろんである。
従って一切の非課税法人に対して毎年申告をなさしめることにしその収益事業によって得られた収入額を申告書の別欄に分離して記入せしめるようにすべきである。収益を目的とした事業による利益については、一切の公共団体でない法人は法人税を三十五%の税率で算定してこれを納付することになる。申告されたその他ての所得はすべて免税となる。この申告資料並びにその監査は大蔵省が、法令上の免税の濫用または特別の弊害があるかどうかを判定するための必要な資料となる。
この他に大蔵省は技術的に訓練された経済および統計専門家に非課税法人の継続的研究を行わしめるべきである。かかる研究は、将来いかなる一般免税方針を定めるかというときに、非常に貴重な役割を演ずることとなろう。
非課税法人の問題は国税たる法人税だけの問題ではなく、これを遥かに超える問題である。免税というものは、すべて、それが国の段階であろうと、または都道府県、市町村の段階であろうと、余りにもたやすく濫用されまたは好ましからざる差別待遇を惹起することとなる。従って消費税、財産税およびその他の国税並びに地方税の現行のすべての免税は直ちに検討されるべきであって、濫用または差別待遇がある場合はこれを廃止すべきである。
C 法人の事業年度 (Accounting Periods of Corporations)
[# 底本では節の標題に符号"C"がありませんでしたが、付け加えました]
非課税法人を除くすべての法人は、その事業報告を六ヶ月毎に提出しなければならないことになっているが、この報告は六ヶ月間の決算期終了後二ヶ月以内に提出しなければならない。法人の決算期が六ヶ月以上の場合は、最初の報告および納税は、暫定的なものとみなされ事業年度終了後二ヶ月以内に調整されることになる。この六ヶ月毎に提出される報告については、監査および更正決定を要し、従ってこれが税務当局に非常に大きな負担を課しておりまた法人に対しても或る程度の負担となっている。
法人のすべてが十二ヶ月分を総合した最終申告を行うことをここに勧告する。かくして法人のすべての申告は、今より比較的少い税務官吏によって調査および更正決定されることができ同数または追加人員でこれを行う場合は、より能率的となる。
一年分を申告させるために生ずる早期徴収の損失を防止するために、法人に上半期末に中間申告をなさしめ、その法人の所得の減少またはその企業の季節的性質により納税が不可能な理由を詳細に記した陳述書が申告書に添付されていない限り、前事業年度に納付した税額の半額を納付せしむべきである。右陳述書が事実と相反する場合は税額の他に追徴税および延滞利子が徴収される。
D 法人数 (Number of Corporations)
法人税の適用を受ける法人の数については若干の食い違いがあるが、経済科学局調査計画課の調査によると、1949年3月31日現在の各種の法人の数は次の通りである。
株式会社 | 153,636 |
株式合資会社 | 91 |
合資会社 | 82,644 |
合名会社 | 25,475 |
有限会社 | 43,630 |
相互会社 | 26 |
小計 | 305,502 |
財団法人 | 5,688 |
社団法人 | 4,693 |
特別法人 | 294,903 |
小計 | 305,284 |
合計 | 610,786 |
[# 表中の数字は漢数字を算用数字に置き換えました]
右の法人中には1949年3月以前に解散したものも含まれている。
目下調査が行われているけれども、かかる解散した法人の数を把握することは、現在のところ不可能である。
大蔵省によれば1949年3月31日現在において十九万三千百七十二の一般法人が納税申告をしたことになっているが、これを経済科学局調査計画課が1949年3月31日現在で調査した、株式会社、株式合資会社、合資会社、合名会社、有限会社、相互会社の合計三十万五千五百二という数字と比較する必要がある。即ち十一万二千三百三十の食違いが生ずるのである。更に大蔵省の統計によると、1949年3月31日現在において四万九千七百四十九の特別法人が納税申告を行ったことになっている。これに対しては、調査計画課の法人数に関する調査には解散があるために相当過大にこれを見積っているかも知れないので、比較すべき数字がない。
しかし、いずれにせよ、これらの数字の大きな差異は、どこかに大きな欠点が存することを意味しており、このような食違いの根源を調査することは、きわめて急を要する問題である。
もしかかる食違いが主として解散した法人によるものであれば、ここにもう一つの勧告が必要となろう。即ち、解散するすべての法人は解散を行うべき措置が採られてから三十日以内に法人の名称、解散を認めた決議、法人の事業開始の年月日を過去五年間にわたって申告書を提出した税務署またはこの五カ年中その存在した期間等を記載した一定の用紙を用いた申告書を大蔵省に提出せしめるよう租税法規を改正すべきである。
この申告書の写は、当該法人が課税されていた税務署または市区町村役場にこれを送付すべきである。右申告を怠った場合は罰則を設けるべきである。
E 法人相互間の配当 (Intercorporate Dividends)
現在では法人が他の法人から受ける配当は、その配当を受けた法人の課税所得に含まれる。このことは、一法人が、他の法人の株式を所有する場合には一つ以上の仲介的法人を経由することなく利益の配当が最終の個人たる株主に直接行われる場合よりも重い税を課せられることを意味する。一般に子会社または持株会者を使用することもしくは法人が他の法人の株式を所有することに対して差別待遇をする理由は存しない。むしろ、このような仕組は、多くの場合、企業を運営するのには最も合理的且つ効果的な組織形態である。特に国際貿易においては、外国における事務の処理を子会社を設けて行わしめることは多くの利点を有している。従ってこのような仕組に対する懲罰的課税は好ましくない。
勿論ときとしては持株会社を積み重ねること、特に支配力を集中することは、好ましくない権力の集中化および複雑な相互関係を生ぜしめる場合もある。しかし、このような法人相互間の関係に対して一率に処罰的課税を行うことは、弊害を抑制するため賢明ないし効果的な方法とは考えられない。もし弊害を抑制しようとするならばより直接的でありまた選択された方法によるべきである。
従って、われわれは、法人の株式所有および法人相互間の配当の支払に対する特別の負担を出来るだけ除去すべきことを勧告する。
法人税については、われわれは、このことが法人の純課税所得から他の課税される内国法人から受けたすべての配当を除くことによって非常に簡単にできるということを勧告する。これは法人相互間の二重課税を回避できるのみならず、法人から適当な税が徴収されることを保障するものである。同時にまたこのことは欠損繰越および繰戻の規定とも合致するものである。というのは、そのような目的のためには課税所得のみを考慮すればよいのであって、配当は全く度外視してよいからである。
[# 第六章おわり]