まんじゆさげ

 水城頼母は、千彌を愛していた。しかし、歴々の旗本として、何んなに愛している女でも、身分ちがいの踊子であるし、所詮は、売女風情であると、ちゃんと区別をたてていた。
 だから、自分の位置、自分の名に影響しない限りには、千彌の為に尽しもしたが、千彌が、吉原へ下げられてから、行方知れずになったと聞いた時
「女は多い、千彌一人ではない」
 と、笑ったまま、寄合の時には団七組の人を呼んで、大文字屋の主人が、御機嫌伺いにきた時も
「遊女にうつつを抜かす、余でもない」
 と、挨拶をしたりした。千彌が吉原を出てくれば又、可愛がるが出て来なくっても淋しくない人であった。そうして、水城を淋しがらせない女は、世間にいくらも居た。
「一刀流の無頼者とかかり合ってまで――」
 と、酒の上で一度は渋川とも争ったが、その為に、意地を立てて、無頼漢と争うような無分別者ではなかった。それで
「団七、その方も、誰彌に劣らぬ位、芸に精を出さぬといかんぞ」
 と、言ったりしていた。誰彌は、病気と称して、何の座敷へも出なかったが、江戸第一の座敷踊子として、人々は来なくても、誰彌の噂をした。それを聞くと、団七は
「妾は、何うも、下の下の踊子、局女郎同然で御座います」
「そう申すものではない。千彌が居らずになったから、今度は、その方を寵愛したいが、誰かのお手付きになっているかのう」
「さあ――」
 と、団七は笑った。旗本、身分のいい大名の家中は、踊子を、手軽な太夫に見ていたし、踊子もそう見られても仕方の無いように二三人ずつの特別な贔屓をもっていた。
 団七は、渋川を、自分の男として、その外に客としては、大久保加賀守の家中、勘定方を一人。旗本、黒書院番を一人、後盾ににしていた。
 男が、妾の外に、腰元と、新吉原の女と、外の踊子と、関係していて、多忙であったから、踊子も、一人で、二三人づつ持っていても、十分に持ち扱いができた。
「誰も無いなら、どうじゃ」
「千彌様のお代りなら、ご免を――」
「あれは、何っかへ誘惑されたそうだが、吉原へ下げられた上は吉原者。踊子に女が一人居ぬとこん夜のような寄合には、万事不便でのう。何程、手当して遣わそうか」
「千彌様へは?」
「あれは十両ずつであったが、それで、如何じゃ」
 取引は極めて、淡泊に、手数がかからなかった。
「考えてからに致しましょう」
「ふう。話対手があるのか」
「何んの――膝小僧と、とくと、今夜談合仕りまして」
「小僧へなら、余が、直々、訳を申してやろう」
 水城は、団七を引寄せて、膝へ手を当てた時
「御前」
 と襖の外で声がした。
「それにて申せ」
 と、言い乍ら、団七が、媚びを含んだ眼で見上げつつ、片手で押さえている裾を、襖の外の侍が
「誰彌が参りました」
 水城が、答えようとすると、廊下の遠くで、今夜の客の一人である、大屋信濃が来たと見え
「信濃殿、参上」
 と、叫んでいる声が聞こえた。団七が坐り直した。

「誰彌か、久しいのう。病と聞いたが」
「お久し振り――」
 二人の挨拶へ微笑した誰彌は、化粧もせぬ顔を、面窶れさせ、束ね髪のままで
「ぶしつけな姿を、お許し下されまして」
 と、頭を下げた。団七は、それを見乍ら(その頭を妾に下げていると、気がつかないのだろうが、今に、びっくりなさんな、今夜から、妾は殿様のお手付で御座んすから)
 と、腹の中で、笑っていた。
「お客あしらいで御座りますか」
「又、例のでのう」
 廊下つづきの部屋で、団七組の踊子が、客と興じているのが聞こえてきた。
「お忙しい所へ、御無理なお願で参りましたが、ちと、殿様に、内密で――」
 それが、千彌の事であろうとは、水城にも、団七にも判っていた。水城は、だから
「団七一人なら、よいであろう、話せ」
 それは、団七への、最初の好意を見せる為であったが、団七へ示す好意は、誰彌にとって、おもしろくない物であった。
「はい」
 と、答えて、いつもの水城でない言葉を聞くと、誰彌は
(もしか、団七と――)
 と、思ったが、言わずに、引退る事もできなかった。
「誰彌が一生のお願い――」
「一生のな?」
「はい」
「はははは、では、そちの願を聞き済むと、身共の自由になるとでも申すかのう」
「はい」
「これは面白い。して、その話の儀は?」
「千彌の事に就きまして、ご配慮願い度いと存じまするが――」
「うむ。乗るぞよ」
「先達ての夜、根岸にて、一刀組の渋川の為に千彌を奪い取られまして御座ります」
「聞いたが――矢張り、あの無頼の徒の仕業か」
「大文字屋の御主人も、いろいろと手をつくされましたが、如何致しましたものやら、かいくれ行方が判らず――その上に、何分、吉原下げの早々の事とて、訴え出ては、却て大文字屋へ迷惑のかかる事故、ほとほと困り果てておりまする」
「尤も――」
「それで、今朝程――何うも、渋川の所へ押込められているにちがい無いと、八寸の親方も申されますので、それに就きまして、それが本当か、それとも、何っか外へ連れて行かれたか、殿様のお力でお役人なり、誰方なりから、お捜し下さる訳には参りますまいかと、お願は、このことで御座ります」
「成る程――」
 団七は腹の中で、微笑しながら、水城が何う答えるか、待っていた。
「渋川の住居は?」
「それが、判明致しませぬ」
「ふむ。それでは、役人の手にかけるより法が無いが、役人の手にかけると、濫りに、吉原を抜け出した罪で、入牢だのう」
「はい。覚悟致しておりましょう。あの子の性質として、渋川づれの手にはかかるまいと存じますが、もし、手込めにでも逢って、操を汚しました上は、死んでいるか、それとも生きておりまするか――ただ、あの子も、妾に一度は逢いたかろうと、妾も又――」
 という内に、声が曇ってきた
「死顔なりと、せめて一眼見たいと、それが殿様のお力で願えます事なら――」
 誰彌は、畳の上へ、涙を落した。団七は、唇へ微笑を浮べて、横を向いていた。

「お出ましの程を――」
 と、若侍が言ってきた。客席では、もう唄の声が低く流れていた。
「参れ」
 と、水城は、立上った。団七は黙って立上った。
「誰彌も参るがよい。誰か、よい智恵が出んとも限らぬ、参れ」
 と、立上ったまま、やさしく言った。
「はい――然し、この姿では?」
「よいよい――外の女とはちがう」
 水城は、先へ廊下へ出た。
団七は、誰彌が
(渋川づれの手込に逢うような千彌ではない)
 と、言った言葉に、憤りが立っていた。それが、本当であっただけに、口惜しかった。それに、水城が、今
(外の女とちがう)
 と誰彌一人を、自分達より一段えらい者と考えている事に、憎しみと口惜しさとが、湧き起っていた。黙って、水城の背後を歩き乍ら
(満座の中で、何か誰彌に恥をかかせるような分別が――)
 と、考えていた。
 誰彌は、手早く、涙を拭くと、裾を直して、髪へ手を当て、撫でつけると、廊下へ出た、
侍が、障子を閉めて
「久しく見えぬのう」
 と、微笑した。
「はい、ちと、身体を痛めまして」
 挨拶しながら、柱行燈にわびしくかかっている広い、長い廊下を突当ると、一段高くつづいた廊下へ、明るく、灯影がさしていた。
「御無礼、仕った」
 水城が、挨拶して入って行った。
「誰彌」
 水城が、振向いて叫んだ。
「久し振りにて――ちと、これも無礼ななりじゃが、丁度参り合せておったので――」
 水城は、こう言って自分の席へ坐ると、廊下の隅の誰彌へ
「遠慮なく」
 と、声をかけた。
 団七は、水城が自分を口説いておき乍ら、誰彌が来ると、すぐ、下へも置かぬように扱うのに、反感が起ってきた。そして、sれが一固まりになって、誰彌を憎む心に変った。
「お目を汚して恐れ入りまする」
 誰彌は廊下から、声をかけて、一同にお叩頭した。
「病気だと申すのう」
 と一人が言った。
「さあさあ」
 と一人が叫んだ。
 団七は、どんなに、自分を粧っても、誰彌に勝てないと思うと、物を引裂き、何かをぶっ壊してしまいたいような口惜しさが身体中へ漲ってきた。
「何をぼんやりとして――」
 と、誰彌の方を眺めている自分の下の踊子を叱りつけた。
「話の前にじゃが――」
 水城が、大きい声をした。
「誰彌に、誰か、力を貸してやる仁は無いかのう」
「力で済む事なら、ずんと貸そう。金なら、借りようが――」
 と、一人が笑った。
「その訳は?」
「訳か? 実は、それ千彌と申す女が――」
「あはははは、こりゃ、お惚気か」
「いいや――」
 水城は手を振って
「実は、これこれ」
 と、千彌の事を話し終ると、末席から
「真実で御座りまするか」
 それは、恩地作十郎であった。人々は、その声が、余り大きいので、一齊に、作十郎の方を見た。

「恩地様」
 誰彌が叫んだ。
「久しくお目にかからぬ」
 恩地は、誰彌に挨拶をして、水城の方へ向くと
「只今のお話、その役儀――拙者に仰せつけられるようお願い致しとう御座る」
 それは、決心と、情熱を含んだ大きな声であった。久しく、大病だとか、疵を受けたとかで、顔を見せなかった恩地が、肱を張り、顔を赤くして叫んだので、人々が一時にそっちを振向いた。
「安堂氏の事に就きまして――丁度いい機、御一同に、お聞に入れ度い儀が御座る」
 恩地は、拳を膝へ据えて、俯き加減になって
「いつぞや、当邸にて、それなる誰彌の事について、安堂氏と、香東氏との事が御座りました。お覚えの事と存じまする。その香東氏が、その事から、安堂に、斬られ安堂は逐電致したと、それが――実は、真っ赤な偽り――安堂氏の義心より出でたる拙者を助ける手立で御座りまする」
 こう言うと、恩地は息をついだ。
「それで――」
 一人が、恩地の顔を見て言った。
「香東を斬った下手人は、安堂氏ではなく、かく申す恩地で御座る」
 恩地は、真っ赤になっている顔を挙げた。
「この事――いつか、いつか申そうと――心に咎めるまま――実は、さる御重役まで申上げたれど対手にされず――」
 恩地の唇が顫えてきた。
「せ、拙者、いささか士の道も心得ており、友情も解しておるつもりに御座りまするが――こ、この卑怯なる振舞」
 恩地の眼に涙が浮んできた。
「卑怯者、士にあるまじき仕業、――人を殺して、安堂氏を下手人に、そのまま、のめのめ暮しておる、腰抜侍と、未練者と――」
 ぴたりと、畳へ、両手を突いて恩地は、自分で、自分を罵っている言葉が、しどろもどろになって出てきた。
「よく、よく心得てはおれど、老母と、妻子をかかえて、貧しく、――いいや、お恥しながら、女房諸共に、手内職を仕らぬと、一家六人が口すぎもならぬ軽輩、香東氏の無礼の仕打に、前後の辨えなく斬って棄てたる家が、安堂氏の家、それ幸に、安堂氏が――安堂氏が仰に」
 と、いうと、はらはらと、涙を落した。 「老母を――妻子を――何とする、せ、拙者は、独り者、いかようにも成る身体、幸いに、此処は拙者の家、拙者と口論して、斬った事にしておけば、それで済む、必ず妻子にも口外なさるなと、義心に富む、厚情に富む安堂氏のお言葉――身に咎もなき安堂氏に、人殺しの罪を負わすと知りつつも、その情に甘えて、その言葉のまま――いつか名乗り出ようと、明かそうとは思い乍ら人知れず一家を片づけることに腐心し、ようよう一家の法も立ち、名乗り出んと、安堂氏の隠れ家へ参れば、行方知れず――そ、その節、それなる誰彌――誰彌より聞けば、上州路へ去ったとの事、安堂氏の義侠を知る只一人の町人、大口屋にて聞けば矢張り行方知れず――この大恩ある安堂氏と誰彌とのただならぬ間柄――」
 誰彌は、俯いた。人々は、恩地と、誰彌を、見較べた。
「又、この渋川なる痴れ者の為に不覚乍ら――拙者が病とは偽り――実は、渋川に斬られての疵養生、その渋川が、誰彌に無礼を働いたとあっては、命に代えても助けるが、ただ一つの恩地作十郎が生きる道で御座る。名乗り出ても重役に取上げられず、奉行所へ訴え出る筋道で無いだけに日夜報恩に苦心する拙者――この事、何卒お任せ願い度う存ずる――水城様、御一同」
 恩地は一座を見廻した。

「成る程――聞えた」
 水城は頷いた。
「然し――只今申した事は真実であろうのう」
「斯様の事、偽りでは申上げられませぬ」
「重役へ願出て、何故お取上げにならぬか」
「一旦、安堂氏を下手人と、役方一党にて決しましたる以上、今、これを拙者の申立て一つにて覆しては役儀の表にかかわる――と然し乍ら、安堂氏召捕の事は布令になっておりまする」
「判った。然し、恩地――渋川は無頼の徒ながら、これが、立つぞよ」
 と、頼母は、腕を叩いた。
「心得て居りまする。一旦、死すべき拙者、斬られて、斬るつもりならば――」
 と、言った時、一人が、
「然し、渋川を斬るのが目的では無い。事は千彌お救うなある」
「そうじゃ――それに、聞けば、渋川の在家が判らぬと申すで無いか」
「それを捜せると致しても、千彌が、果して渋川の許におるか、居らぬか。居らぬ所へ斬込んで、斬られては犬死じゃで――」
「尤も――」
「この辺、とくと勘考するがよいが」
「誰彌さん――何か、よい智恵が――」
 と、団七が言った。
「さあ――」
「誰彌さんによい智恵が御座んせんなら。妾が、ふつつかながら、お力を――」
「団七、団七何と申す」
 水城が、笑った。
「殿様、あの安堂様でも、誰彌さんへどうやら、こうやら、ころりと参らしゃんした様子、渋川とて石仏ではなし、女には、女の――さあ手管と申しましょうか。誰彌さんのように常々日頃から、御身分の高いお方ばかりとつき合いをしておりませぬ妾達――まあ、渋川風情、御無礼乍らそちらの恩地様、安堂様あたりと丁度頃合いの、安踊子。お座敷での取柄は、とんと御座りませぬが、いざとなると、安堂様とやらのように、自分を殺しても、それん何んとか、仁を為すとか、まあ誰彌さんのように御上品一点張でのうて、こうして出しゃ張る意地だけが、取柄とでも申しましょうか?常には大名、旗本の方々でもつんと眼下に見下して、踊を踊りなさんす姿は天下一。まあ、それが踊子としては結構なこと。したが妾は下賤育ちで、踊は下手故、只こうしてはいはい、へいへいと、申しておりますが、大事の男、大事の妹の行方を探すのに、人手はかりませぬぞえ。安い身分故死んでも惜うない命、渋川へ乗込んで、一談合する位の事は、団七には朝飯前とでも申しましょうか。それは、とにかくとんだ意地立て乍ら、同じ踊子仲間の、泣顔を見ては、黙って居られぬのが、妾の気持ち、お邪魔になるなら、団七一人で、一つ、渋川へ乗込んでぶつかって御覧に入れましょう何うなりますか? 殺されても安踊子の安命、そちら様のような大切な命ではござりませぬ。殿様、何と御思案遊ばされます」
 

以下、作成中!! (p390-3-20-