A 地方財政の諸問題 (Problems of Local Finance)

 地方団体の財政の現状は、特に五つの重大な弱点あるいは問題に悩まされている。

1 市町村、都道府県および中央政府間の事務の配分および責任の分担が不必要に複雑でありまた重複している。

2 如上三段階の統治機関の間における財源の配分が若干の点において不適当であり、また中央政府による地方財源の統制が過大である。

3 地方自治団体の財源は地方の緊急経費を賄うには不足である。

4 国庫補助金および交付金は独断的に決定されることが多い。それらは金額を予知することができず、各地方間における必要額の相異適当に考慮することなくして定められ、時には地方が国庫支出額と同額を負担することが要求されて、地方財源に無理をしいることがある。総じて、それらを受ければ、中央政府が地方に対して細い点において過度の統制を行使するようになるのである。

5 地方団体の起債権限はきわめて厳重に制限されている。

B 強力なる地方団体の必要 (Need for Stronger Local Government)

 地方団体の事務は特に国民と密接なものがある。
これらの行政事務のうちには、教育、病院、疾病の予防、衛生施設、救済、母子厚生、警察、消防、街路、リクリエイション、住宅および不具者の世話といったような重大な行政および施設が含まれている。それらは特に各個人のためにの機会とよりよき生活条件、より大なる安全保証および不幸の防止を与えようとするものである。日本またはいかなる国でもその将来における進歩と福祉とは、他の如何なる要素にも劣らず、地方団体の有効な行政の量と質とにかかっているのである。

 しかのみならず、地方団体は、民主的生活様式に潜在的な貢献をするものであるから、強化されねばならない。強力な、独立した、実力ある地方行政団体があれば、政治力は、遠隔の地にあり、且つ個人とは無関係の中央政府に集中されるよりもむしろ分散され、国民の身辺におかれるのである。

 地方団体は国民を教育し、民主主義の技術の指導者を養成するのに有効な手段を備えている。地方団体の運営方法は国民が容易に監視し、また理解することができる。国民は彼が地方行政から受ける利益とそれに要する費用との間の関係を明確にはかり知ることができる。地方の段階において発達した習慣と態度とは、国の段階において政府の行動に影響をおよぼすに至ると期待してよかろう。

 地方自治はまた、ある仕事は個個の地方の独特な必要と問題をよく知っている小さな単位によった方がより効果的に遂行できるというだけの理由で重要である。

 もちろん、地方自治に対する反対論はある。時には独立の地方団体が想像力に欠け、無能であり、あるいは腐敗していることもある。
時には誤謬を犯すこともある。地方によっては適切な地方行政を維持するにはあまりにも貧困であるかあるいは立遅れていることもある。地方的に処理できる税収には限りがあるので、実際多くの地方は完全に自給自足をするまでに立至ることができないのである。これらの理由の故に、地方自治の概念は極端にまでもって行くべきものではない。

 日本においては、地方自治の原則は最近までは実現し得るものとして広く受け容れられるまでには到ってなかった。それ故に、地方自治に関する現実的見解においては妥協が必要であることはこれを認めるとしても、日本における問題は、依然として、国の支配を減じ、地方団体の独立を増すことである。次の段階は、明らかに、地方自治の形式に実質を加えるために、地方団体に適当な独立財源を与えることである。

C 日本はよりよき地方団体を出現せしめることができるか
  (Can Japan Afford Better Local Govenment?)

 日本は戦争の結果非常に貧乏になったので、強力にして進歩的な地方団体を維持しようとしてはならないとはしばしば論ぜられるところである。しかしながら、日本は地方機関を改善することができるという意見には強い立場を与えることができる。確かに、地方経費が増加すれば、それに応ずる税収を国または地方団体のいづれかが徴収することが必要になるであろう。問題は減税して住民に対する地方団体のなすサーヴイスを少くするか、それとも増税してより多くのサーヴィスをなすか、何れが望ましいかということである。減税をすれば、国民の購買力は増すであろうが、国民はその多くを消費を増すように使用するのであろう。しかし、消費財は主として食料と原料の供給によって限定せられるが故に、個人の消費が増せば価格を吊上げまたは不要の贅沢品に対する消費を増すことになるであろう。
日本は、減税によってその輸出市場向け生産力が増加しなければ、減税による実質的利益は受けないであろう。かかる輸出向け生産の増加は、減税が資本の蓄積を増加する程度または生産資源を輸出市場に転換する程度まで起るにすぎなであろうが、かくの如く資本蓄積の行われる程度または資源が輸出市場え転換される程度は小さいと見積っても差支なかろう。これに反して、これと同額の金を地方団体に与えるならば、その結果は日本の最大の資源、すなわち国民に対する直接投資となり、その投資は改善された教育、よりよき健康、より大なる保証と安全、および拡張された機会の形をとるであろう。

 国民の生活水準を高めるのに二つの方法がある。一つは個人的消費物資の供給を増すことであり、他は集団的消費物資の供給を増すことである。日本国民の生活と安寧の水準を高めるのに最も有望な方法の一つは、その集団的消費を増加することである。この種の消費は、主として国産品によって供給でき、海外からの輸入に依存するところがきわめて少い。これに反して、個人的消費を増加しようとする企ては直ちに、海外市場という面倒な問題を引起すのである。かくして、準経済的根拠から、強大にして、発展する地方団体に有利な強い主張がなされ得るのである。

D 職務の分掌 (Division of Functions)

 現在、三段階の統治機関に対する事務の配分は複雑で、且つ次の数個の理由から地方自治および地方的責任にとって有害である。

1 現在の配分は、特殊の行政作用に対する政治的責任を固定するというよりはむしろ分散させていて、特殊の行政に関する処理について、行政機関のどの単位に責任があるかを知ることが難しい。

2 現在の事務配分の複雑性は国民がその行政機関、特に、かれの支払う税金が如何にして有益且つ貴重な行政の形をなしてかれに帰って来るかを理解することを不可能にしている。

3 中央政府が市町村の活動に余りにも多く関与するので、地方自治が損われている。のみならず、市町村役場は、中央政府が適当な財政的準備もないのに一方的に課する厄介な新任務を持たされることが時時ある。中央政府の伝統的な行政事務が市町村に委譲される時には、その市町村の新任務は中央政府のためにする仕事とみなされる。かかる場合には補助金を交付し、国の統制を行使すべきであると考えられている。たとえば、初等教育、警察、消防、および選挙は地方団体の独立の事務として委譲されたが、それにもかかわらずこれらは地方団体が代行する国の事務であるから直接の補助金および国の統制が必要であるといった態度が広く行われている。

4 ある場合には特定の事務がそれを有効且つ能率的に遂行するには適しないような行政単位に割当てられることがある。

 われわれは各種の段階の行政機関の間における事務の配分を詳細に研究して、事務の再配分を行うことを勧告する。この研究は、この目的のために特別に創設され且つ内閣に対して勧告する権限をもつ特別な国の委員会によって行われねばならない。この委員会は、国政に対し専門的資格を持つと認められている五人の委員を以て構成すべきである。
うち三人はそれぞれ知事会議議長、市長会会長および町村会会長が任命し、二名は総理大臣が任命してよいであろう。この委員会には専門家および顧問を雇うための資金を与えねばならない。
この委員会の仕事は、次に述べる一般的原則の上に立っていなければならない。

1 能う限りまたは実行できる限り、三段階の行政機関の事務は明確に区別して、一段階の行政機関には一つの特定の事務が専ら割り当てらるべきである。そうしたならば、その段階の行政機関は、その事務を遂行し且つ一般財源によってこれを賄うことについて全責任を負うことになるであろう。

2 それぞれの事務は、それを能率的に遂行するために、その規模、能力および財源によって準備の整っているいづれかの段階の行政機関に割り当てられるであろう。

3 地方自治のためにそれぞれの事務は適当な最低段階の行政機関に与えられるであろう。市町村の適当に遂行できる事務は都道府県または国に与えられないという意味で、市町村には第一の優先権が与えられるであろう。第二には都道府県に優先権が与えられ、中央政府は地方の指揮下では有効に処理できない事務だけを引受けることになるであろう。

 われわれは、これらの原則を実際に適用するについては困難があることはこれを認める。多くの場合、事務を截然と区別することは賢明でもなく、また不可能でもあろう。

 われわれは広汎な研究をすることはできなかったけれども、若干の試案を示して可能な解決方法を説明してみよう。

1 六・三・三制全体に対する財政上および運営上の責任は、結局、一連の段階をへて市町村(およびそれらに付属した教育委員会)が引受けることができるであろう。

2 警察に対する全責任は、国家地方警察に規定されたものを除きあらゆる程度の市町村に割り当てることができるであろう。市町村はその雇う警官の数を自由に決定でき、その数は独断的数字の割当によるよりもむしろ地方の情況および必要を充分考慮して決定せねばならない。

3 中央政府は災害復旧に対する財政上の全責任を引き受けてよいであろう。しかし、地方で統制している施設に関係した実際の仕事は地方団体が行うことができよう。現在は、中央政府はこの負担の一部を引き受けているが、都道府県および市町村もまた負担を負うている。天災は予知できず、緊急莫大の費用を必要とさせるものであるから、天災の勃発は罹災地方団体の財政を破綻させることになる。その結果、地方団体は、起債、非常予備金の設定、高率課税および経常費の節減を余儀なくされる。この問題は中央政府だけが満足に処理できるものである。

4 中央政府が、補助金を交付したり、しなかったりして、地方当局にその仕事を与える傾向は減ぜられねばならない。(地方財政法第十乃至第二十二条参照)かかる活動の多くは、全責任と共に地方団体に与えるかまたは直接中央政府によって — ある場合には出先機関によって — 執行するようにできるであろう。
地方団体が中央政府の代行機関として働く活動範囲を狭めて、国と地方の事務を明確に分離することには大きな利益があるのであろう。たとえば、主として中央政府が引き受けるべき事務は統計作製の事務、または農地調整であり、地方に全面的に委譲できる事務は選挙管理または地方的計画立案である。

5 市町村が学校、警察、その他の活動を独立して維持することが困難な場合には、比較的隣接地域と合併することを奨励すべきである。同様に、隣接府県は特殊の行政、たとえば水害防止あるいは大学教育の規模を拡大するために協力するように奨励すべきである。市町村または府県の合併が行政の能率を増すために望ましい時にもまたこれを奨励すべきである。このようにすれば、小規模な行政による不利益を克服できるであろう。

 同一境界内において道路、保健行政および高等学校のための都道府県と大都市の活動の間の重複および競合をなくするために特別な努力が払われねばならない。

 これらの勧告は、地方機関の再編成が有利になるであろう多くの場合のほんの一部にふれるにすぎない。それらは、広範囲に亘る事務の競合、重複および非能率的配分の実例を示すものである。われわれがまず勧告することは、地方団体の完全な組織およびこれらの段階の行政機関相互間の事務の配分について、徹底的改革と合理化を目標として徹底的に研究されねばならないということである。

E 地方税制度 (The Local Tax System)

 地方自治機関のための税制を作るにあたり、若干の基本的原則を考慮しなければならない。

 1 税制は簡単でなければならない。租税の数は最低に抑え、賦課する租税は納税者が容易に理解できるような種類のものでなければならない。

 2 各地方税は有効な地方行政を可能ならしめるものでなければならない。課税標準は特定の地域に明白に帰しうるもので、高度の行政技術上の問題を包含してはならない。

 3 税務行政の能率を甚しく低下することなく、また劣等な種類の租税を用いることなくして実施できる限り、国と都道府県と市町村の間には税源の分離があるべきである。かかる分離によって、国民は、自己に課された税額に対し、またそれらの租税の施行の仕方に対して政治的責任を定めることができるであろう。

 4 地方行政単位は、地方選挙民の必要と要求に応じて税率を上下する権限をもたねばならない。

 日本の現行地方税制度はこれらの原則に従って改革しなければならない。

 地方当局が賦課する租税の数は減少されねばならない。現在約三十種類の法定独立税が賦課されており、加うるに、多くの地方は多数の法定外独立税 — 普通些細なものだが — を課している。(法定外独立税とは、地方当局が利用できるものとして法律には特に規定していない租税と定義されている。)
たとえば、北海道町村会の報告によれば、七十七種類の法定外独立税が北海道各地の市町村によって課せられている。

 地方自治のために、われわれは、地方行政単位がこれらの租税を、その賦課しようとするかも知れない他の法定外独立税とともに、法定外独立税として課すことを許されるように勧告するものであるが、地方当局に対して法定外独立税の数はこれを制限するように忠告したい。しかし、われわれは、各地方団体は一般にこのことを自ら自由に決定すべきものであると信ずる。本報告書において提案したい新しい地方財政委員会は、地方団体が課する法定外独立税について一般的監視をなすべきである。委員会は、現行の法定外独立税を否認し、また、新たに法定外独立税を起そうとする地方当局の申請を却下する権限を持たねばならない。かかる租税は、それらが国家の利益に反することが明らかである場合にのみ、たとえば、それらが煩わしい内国「関税」の効果をもつとき、あるいは耐え難い差別待遇を課するとき、あるいは国税の徴収を不当に妨害する時にのみ拒否されるであろう。委員会には国の利益が明らかに害される例外的な場合にのみ地方当局の財政的独立を制限することを許すべきである。

 地方当局が細かい法定外独立税を過度に、而して恐らくは不健全に使用する現在の傾向の下にある原因は、地方当局が甚しい歳入不足に陥っていると云うことである。もし地方当局が実質的で依存できる税源に接するならば、法定外独立税の問題は大いに減少し、異常の場合以外には地方の決定に安んじて委せておくことができるであろう。

 特定の地方税の正確な税率は中央政府が決定すべきものではない。
ここに勧告する計画のもとにあっては、住民税の所得要素を除けば、地方税は国税からは大体独立しているから、地方当局が同一の課税標準のことで中央政府と争うことがなく、国の歳入を脅威することが少いであろう。各地方は、住民の加える圧力があるから、またその地域内から企業と富とを追出したくないと思うが故に、他地方の租税とは並外れた租税を起こすことを差控えるであろう。各地方は、国庫からの平衡交付金を受ける資格を持つために、その課税標準に関連して、合理的に最低歳入額全部を徴収せねばならないとの要求があって、財政上の責任を回避することができないであろう。(後に論及するこの平衡交付金は現在の地方配付税にとって代るであろう。)

 地方税制度は収入の弾力性のある税をもって構成さるべきであると論ぜられてきた。弾力性とは、インフレーションの下において歳入増加を産む税の能力を意味している。弾力性に対する広い関心は日本がいま破壊的インフレーションを経験しており、特定の地方税は実際には物価の昴騰に則応しないことが判明したという事実に基くものである。提案した地方税の改正は地方税制度の弾力性を多少は増すであろうが、変動する価格と雇用関係とに特に即応するものはならないであろう。実際、弾力性はある点においては地方税には不利である。それは物価の下落と失業の時代には歳入の減少することを意味する。地方歳入を調整する主要素は、むしろ平衡交付金であるべきである。
かくて、経済事情の変化に対して調節する義務は、その事務を遂行するために十分に装備せられた唯一の行政機関である中央政府に委ねらるべきものでる。

F 地方団体の財政的要求 (Financial Requirements of Local Government)

 一般に、地方団体の財政難は責任の増大と歳入の制限との結合した結果である。地方団体の責任は、戦災その他の地方行政に対する戦争関係の要求、ならびに教育、警察および消防の地方当局への委譲のために増加している。歳入の制限は、若干の租税(特に地租および家屋税)が物価と費用の上昇に比例した歳入を齎らさなかったこと、地方に配付される国税たる所得税と法人税の配付率が突然半減されたことおよび地方の起債力が制限されたことに基くものである。

 地方団体が財政上危機の状態にあることには多くの証拠がある。地方吏員および消息通はほとんど異口同音に地方団体の現在の財政状態が不健全で、速急に改善の要があることを認めている。十%の多きに達する地方において、多くの市町村長が、財政難でその計画を実行できないという理由で辞職している。多くの地方当局は、一般に不満があるにもかかわらず緊急手段として細かな法定外独立税に頼っている。たとえば、庭園税、ミシン税、扇風機税、製紙機税、タンク税、橇税、養蜂施設税、冷蔵庫税、筏税、炭焼窯税、麻雀牌税および材木積載機税の如きがこれである。若干の地方では来年度の租税について徴収した歳入で今年度の経費を賄っていると報告されている。
都道府県の多くは宝くじから歳入を得ようとし、また歳入確保の目的でその他の賭博を合法化する権限を求めている。その他の地方では、経費支出の途がないので住民の自発的な勤労奉仕によって仕事をしてもらうことにしたと報告されている。名義上は資本的目的のためとなっているが、多くの地方債が行政費の不足を補うために用いられている。

 これにも増して重要な財政逼迫の徴候は、一般に名目だけの自発的寄付金や会費が地方団体の費用を支弁するために求められていることである。寄付金は多くの目的のために集められたが、最も多かったのは学校、警察、消防及び道路のためのものであった。集った寄付金の金額の見積高は人によって異っているが、地方団体の予算面に現われた数字は全歳入の平均一乃至二%にすぎない。しかし、寄付金の多くは正式の予算には現われない。全体では全地方歳入の恐らく五乃至十%に達するであろう。地方自治庁は総額を四百億円乃至五百億円と見積っている。

 寄付金は徹底的に非難してはならない。適度に、また真に自発的に集められるならば寄付金は、公共歳入、— 特に教育、保健行政、厚生活動のための — に対する正当な補充財源である。しかし、今日の日本では寄付金はこれらの目的以上に用いられており、募集の方法は悉く自発的なものとは限らず、地方の官民ともにこれは能う限り速かに取除くべきやむをえない悪であると思っている。それ故に、寄付金募集を多く行うことは地方当局の財政的弱点を強力に示すものと結論しなければならない。

 現在の地方財政の逼迫はまた地方団体の現在の歳出を戦前の歳出と比較してみてもわかるのである。1933-34年度から1935-36年度間の地方団体の全歳出は平均二十四億円であり、1936-37年度から1940-41年度間の歳出は平均二十七億円であった。今日の円価格でいえば、正確な数字は特定の物価指数を用いることによって定まるのであるが、これらの数字は四千億円と五千億円の間にあるであろう。1949-50年度の地方団体の実際歳出額は三千五百億円と見積られているが、これは調整した戦前の水準の最も控え目な見積よりも実数においてかなり低いものである。従って、地方団体は戦前にもっていたよりもかなり低い実際購買力をもっているのである。— 戦争関係の費用、教育、警察および消防の地方団体えの委譲ならびに人口増加の結果地方団体の責任が増大したにもかかわらず、かかる状態なのである。地方団体が相対的に不十分な資金をもって運営できたのは、一部は官公吏の俸給が他の産業の賃金に比例して上らなかったことに因っている。この差は無限に続けることはできない。それが存在している間はそれは地方団体の能率と質とに有害な影響を与えるであろう。

 日本の現状において地方団体の歳入はどの程度増加すべきか。この質問に客観的解答を与えることはできない。しかし、全体の大さの暫定的見積は提出できるであろう。

第一に、全地方団体の現在の綜合予算は戦前のそれに相当する予算よりも十二%から三十%購買力が減少している。
第二に、地方団体は新しい責任を負い、新規費用 — 特に教育、警察、戦災復旧、および自治の増加に対する費用を負担せねばならない。第三に、面倒をみてやるべき人口は1935年度よりも約十九%増加し、しかも地方団体の一般施設は荒廃状態にある。地方歳出を戦前の水準に引き上げ、加うるに費用および人口の増加の要素に対し控え目の割当をするためには、少くとも千億円の歳入増加を必要とするであろう。

 この数字は、地方自治庁の研究した数字とほぼ一致するもので、これによれば、たとえ現在程度の寄付金募集が続けられるとしても、現在地方団体が八百億円の歳入増加を必要としていることを示している。もしこれ以上の重い寄付金募集をやめるとすれば、少くともさらに二百億円の歳入が必要となり、全必要額は千億円になる。

 北海道市長会の研究によってもまた約千億円の数字が出ている。地方吏員との幾度かの討論および地方施設の視察によって、地方団体と地方自治とを適当に安全な地位におくためには約千億円の数字が必要であるとの見解を強くした。

 もし現在地方起債の制限が多少緩められるとすれば、必要な千億円のうち若干は、地方税を増加したり、国庫補助金を増加したりしないで得られるであろう。のみならず、国庫が右に勧告した如く、災害復旧に対する財政上の責任をとるとすれば、地方団体の必要は恐らく二百億円乃至三百億円を減ずるであろう。

G 補助金 (Subsidies)

 補助金は日本の地方財政の重要な要素である。1949-50会計年度においてそれは八百億円と見積られている。十四省の管轄下において約三百五十種の補助金が与えられている。補助金は、(1)全額補助、(2)一部補助、(3)公共事業費補助の三種類に分れている。

 全額補助は、地方当局が中央政府のためになしたと思われる行政の代償として支払われる。現在約百三十種、百億円に達するかかる補助金が出ている。最大の項目は終戦処理費、統計作製、農地調整、および農地委員会関係の費用である。われわれは、提案されている地方行政組織委員会が現在全額補助金の出ている諸活動を再検討して、これらの活動中に中央政府に委譲し、あるいは費用を地方団体に委譲してもよいのがないかどうかを決定するように勧告する。更にわれわれは、明らかに必要のある場合を除き、将来地方団体が中央政府のために働くことを要求するのをやめるように提案する。現在の習慣は、(1)国と地方の責任を混乱させる傾があり、(2)不必要にも地方当局を中央政府の細かい統制下におき、また(3)補助金額の決定に際して国の官吏と地方吏員との間につまらない摩擦を生ぜしめるが故に好ましくない。存置される全額補助金については、中央政府は、地方の直接費のみならず地方経常の正当な負担分をも償うに足るだけの支給をなさなければならない。

 約二百十種で約三百七十億円に達する一部補助金が出ている。これらの補助金は特定の目的のための地方経費の二十五%から八十%に亘っている。それらの大多数は支払額が五十%で、これは地方団体が国庫補助額と同額を出さねばならないことを意味する。少数の補助金に対しては、支出の割合を計算する代りに全額が定められている。

 一部補助金は二つの理論の下に発達した。第一は、地方団体の行うある種の行政は地方にも国家の利害にも関するものであり、国の利害の程度に応じて国庫が経費を分担するというものである。従って、これらの補助金中には国庫「負担」として言及されているものもある。左様な分類をされたものの中には教育、地方警察、鼠族昆虫駆除および伝染病予防のための補助金がある。第二の理論は、補助金はそれを与えなければ行われないような特定の事務を地方団体にやらせるようにするために与えるというのである。察するに「補助金」という語はこの種の支払をさすために用いられるものである。

 これら二つの理論のうち第一のものは、国庫補助金を地方当局に分散させる根拠としては全額国庫補助が反対すべきものであるのと大体同じ理由で反対すべきものである。この理論はまた他の理由からも反対すべきものである。(1)財政力を異にする各地方の負担を平均化する方法がない。最富裕地方えの補助金が最貧困地方えの補助金と全然同一比率である。その結果、貧困地方は不当な重荷を負うことを要求せられるかまたは補助金交付を受ける資格を得るために補助金のない活動を怠るようになるであろう。
(2)与えられた活動の何%が国家の利害に関するもので、何%が地方に関するものであるかを決定する客観的方法がない。それ故に、補助金を交付する特定活動を選定することおよび国庫補助の割合を決定するのは独断的になり勝ちである。この独断性は現在の一部補助金の大多数が経費の五十%である事実によって例証されている。更に「正確」な数字を決定する根拠がないから、五十という数字はたまたま便利な概数として選ばれたのである。

 これらの考察に鑑みて、われわれは、二重責任説に基いた一部補助金はこれを大削減をして、これらの活動に対する全責任をそれらを遂行するに最も適した行政機関に割り当てるように勧告する。その暁には財政調整は平衡交付金によってなされるであろう。

 一部補助金を裏付ける第二の理論はこれよりも価値がある。この理論は、地方団体が補助金の交付がなければ行わない特定の事務を行い、あるいはある特定の点で地方行政の質を向上させるのを奨励するために一部補助金を与えるというのである。かかる補助金は「助成金」と呼んでよいであろう。

 相談と技術援助を与えるとともに助成金を与えることによって、中央政府は指導権を行使し、地方団体を改善して公共の福祉を増させるようにすることができる。そうするに際し、中央政府は必要な活動に全責任をとる必要がなく、また地方自治を不当に侵犯する要もない。補助金は指導の道具とみなし、支配の道具とはみなされないであろう。この機能を果すための補助金としては、地方団体の固有のそして充分に同化された事務にはこれを与えてはならない。
たとえば、それらの補助金は教員の俸給の支払、通常保健行政の運営または度量衡管理のために支出されるべきではない。これらの事務の費用は平衡交付金によって補われる地方税によって賄われるべきである。助成金はむしろ地方当局がたとえば公営住宅、不具児童の特別教育、結核撲滅の独創的な計画、天才児童に対する高等学校奨学金等、新しいまたは進歩的な行政を展開する刺戟として用いられるべきである。かかる補助金を交付するにあたり、政府は補助金を受ける活動が結局全国的に地方団体の固有の事務中に同化されることを期待するであろう。その時は、特定に補助金は停止され、財政は地方税と平衡交付金による通常の方法で計画されるであろう。そうすれば、新しく補助金を交付する対象物が採用せられるであろう。かくして、地方団体の質は絶えず向上し、日本国民の福祉は常に増加するであろう。

 完全な平衡制度が実施されるならば、示唆された種類の助成金は富裕地方のみならず、貧困地方にも利用できるであろう。行政機関の経常経費を賄うための歳入は全国的に平均するであろう。そうすれば、各地方当局は補助を受ける活動の地方負担分を租税の増徴によって賄うことができるであろうが、それは財政の全負担額に対し補助金とほぼ同一額を付加するものである。而して、全地方当局は補助金とそれに相当する地方税負担の増加を引受けるべきか否かを、ほぼ同一条件で決定する地位におかれるであろう。これに反し、現在の如く、補助金が予め財源を均等化することなくして交付されるならば、その交付金は既に負担過重の貧困地方の負担を増加する傾向があるのであろう。

 補助金を与えた結果、行政機関の経常的活動を犠牲にして、補助金交付を受けた方面の活動を奨励するようになることを回避するためには、提供する補助金の金額は、地方が財政難を伴わずに地方負担分を果すことのできる程度に制限せねばならない。

 第三種の補助金、すなわち公共事業費は、1949-50年度において約三百三十億円と見積られており、そのうち百八十五億円が災害復旧費で、百四十五億円がその他の公共事業費である。

 災害復旧補助費は現在では大きな災害に基く事業費の三分の二の割合で支給されている。この補助金を受ける資格のある事業は、主として、堤防、道路、港湾および灌漑施設等で、通常建造物補修費は含まない。われわれは災害補助費に関してはその金額を所要費用の金額に引き上げ、あらゆる種類の復旧事業費を含むように勧告する。中央政府は、毎年最近五ヶ年間の災害費の平均見積額に相当する金額の予算をたて、この基金を洪水、台風、地震その他類似の災害に基く全公共費を支弁するのに利用すべきである。ある一年間にこの予算の全額が費消せられなかった時には、その年度末の残金は公債償却に用いられるであろう。この勧告は、もし実行されれば、災害に対する国家保証制度を設けることになろう。この計画の実際運営に際し「災害」の定義は自由であるが、罹災地域の予算の僅かの部分(たとえば任意の一年度の五または十%)しか占めないような軽微な被害を含めてはならない。

H 平衡交付金 (Equalizaiton Grants)

 われわれは、地方当局の利用できる税収を大幅に増加し、補助金を減額し現在の地方歳出中の若干は国庫が支弁すべきことを勧告した。地方当局の必要とする歳入の差額は平衡交付金で補填すべきである。この交付金は課税力と必要とを異にする地方の税負担と地方行政の質とをほぼ均等化するように分配せねばならない。

 平衡交付金の構想は日本にとって別に新しいものではない。地方配付税は均等化を計らんとするものである。地方配付税法は国税たる所得税と法人税からの歳入の一定部分を地方当局に配付することを規定している。1948年度の法律によれば、これら二種類の税収の三三・一四%が配付されることになっていたが、最近の国庫予算削減の結果、この割合は半減された。1949-50年度の配付予定額は五百七十億円である。

 実際にはこの配付率は年々変化して予想できない。今日地方吏員は一般に、かれらが配付税の全額を受けられるものとして予算を組んだ後に配付税を半減する決定をみたことをにがにがしく思っている。かれらは配付税額が年々国家財政の逼迫状態と中央政府の命令によって定まると思っているから、配付税を信頼しない。しかし、配付率が毎年一定していても、受取額の変動は余りにも大きいであろう。何故ならば、所得税は経済状態の変動にきわめて敏感であるからである。

配付額の半分は都道府県に、半分は市町村に行く。個個の地方当局間の資金の配付は地方の課税力と財政需要とに関する諸要素を含んだ方式によって決定される。この方式は貧困地方または必要の多い地方に多く、富裕地方または比較的急に必要としない地方に少く与えるようになっている。かくして、地方配付税のねらう効果は、貧富両地方間の税負担と行政の利用程度の不公平を減少することである。

 しかし、この方式には各地方の実際の財政力または財政需要を必ずしも反映しない独断的な面が若干ある。たとえば、配付税の半分は都道府県に他の半分は市町村に支給される。この特定配付法はただ便宜上のもので、これら二種の地方の相対的必要を研究した結果に基いたものではない。多くの有能な観察者はこの分類では都道府県の財政的地位は市町村のそれよりも相当に強くなっていると信じている。同様にして、この方式には人口数を異にする都市のために若干の人為的調整がなされている。

 これらの反対を克服するために、地方配付税は国庫の一般資金から支出する「平衡交付金」に改めるべきである。この交付金の総額は合理的標準の下に地方当局の能力と必要を研究して決定せねばならない。地方への分配は能力と必要の差を充分に認める方式によって行わねばならない。

 この交付金の配付方法は現在地方配付税の方式に用いられているものと原則的には類似している。しかし、今日はこの問題は中央政府の財政需要、財源および行政上の便宜による中央政府の立場から眺められている。われわれは、全配付額と配付方法とを地方団体の必要と財源とによりよく応じて決定するように勧告する。

 財源、行政の必要および特別の活動の費用が、地方によってひどく異っているという理由から均等化の必要が起ってくる。たとえば、日本においては、ある都道府県の一人当りの課税力は他の都道府県の三乃至四倍であり、最富裕市町村と最貧困市町村との間には十対一にも達する開きがある。不幸にも、最も多くの地方行政作用を必要とする地方、すなわち、児童数が最も多く、疾病度が最も高く、犯罪率が最も大で且つ最も失業救済を必要とする地方が最も課税力のない地方のようである。その結果、貧困地方は潰滅的重税で最低水準の行政作用を維持しているが、富裕地方は遥かに軽い税で遥かに高い水準の地方行政を維持しているのである。これらの差異は個人および国民の福祉に対する効果において不当なるのみならず、好ましくない。この不公平は人人が異った管轄下に居住していることを除けば、あるゆる点において相似た人人に課された税の重荷が異っていることから起るのである。国民の福祉に対する影響は、貧困な地方が教育、保健行政、道路、厚生活動等を適当な水準で維持することができないことから起るのである。

 均等化が十分に行われれば、交付金は各地方当局の財源をその歳入に対する必要に結付けて決定されるであろう。各地方に交付される金額は、合理的だが最少限度の標準的行政を行うとして仮定した場合の歳入の予想必要総額から利用し得る税の適当な標準税率による歳入額として表わされる予想財源を控除したものであろう。中央政府の配付する全額はそれぞれの地方当局に支払われる金額の合計であろう。

 各地方への平衡交付金は一つの方式によって計算されるであろう。この方式は二つの部分よりなり、第一は地方の行政に対する必要度の測定に関するもので、第二は地方の財政力に関するものである。現行配付税の場合における如く、必要度の測定は異った等級の地方当局間においてその責任に応じて異り、また能力の測定は地方当局の自由になる財源の種類によって異るであろう。各級の都道府県および市町村のために別別の計算を行う。

 地方行政の各項目に対する財政需要は、与えらるべき行政の単位数に、妥当なしかし最低限度の量と質との行政を可能にする単位当り標準費用を乗じて算出されるであろう。全行政を綜合したその所要経費の合計が全財政需要になるだろう。この計算は、地方当局がその歳出を全必要額と決定した額に限定せねばならないという意味ではない。この額はただ平衡交付金を算出するのに使用するだけである。地方団体は自由にこの標準を越えてよく、また中央政府の力により、また助成金使用によりそうすることを奨励すべきである。
しかし、地方当局は交付金を受ける資格を得るために、少くとも右の算定額だけは使用することを要求されるであろう。

 各地方税の財政力は、標準の賦課および徴収により標準税率で課税した場合にその税があげる歳入額として計算されるであろう。全財政力は、標準税率で課税したと仮定した場合の全租税の税収額合計となるのである。各々の場合の標準税率は適当な最低限度の税率であろう。標準税率は十分に低くしておいて、地方当局が最低水準よりも高くしたいと思う時にその税率を越えることができるようにするであろう。地方当局が実際上各税を標準税率きっかりで課税せねばならないという意味は含まれていない。それよりも低いかまたは高い税率を用いることは自由であろう。交付金を受ける資格を持つための唯一の要件は、地方当局が標準税率を用いてあげえたであろうものと少くとも同一の全歳入をあげるということであろう。

 理想的には、必要額を計算するに当っては、方式に地方団体の行政のあらゆる項目が含まれており、能力を計算するに当っては歳入のあらゆる項目が含まれるであろう。しかし、実際には、必要額を測定するには地方行政の主要項目だけが別別に考えられ、他の小さな行政はすべて一まとめにして考えられるであろう。同様にして、能力を測定するには主要歳入だけが別別に考慮され、他の小財源は一単位として考慮されるであろう。

 平衡制度は地方自治を害すると論ぜられることがある。もちろん国庫が地方団体に金銭支給をすることは地方当局を非独立的にし、これを制限と統制下におくことになるのは事実である。
しかし、平衡交付金は地方団体に対する国家の細細した統制を最少限度のものにするような交付金である。

 特に、平衡交付金は特定の目的をもった特定補助金よりも細細した統制を少くするものである。交付金を受ける資格を得るために、地方当局は少くとも標準必要額に相当する額(交付金を含めて)を適当な能率をもって費消し、最低限度の地方行政をしなければならない。また、少くとも標準租税を標準税率で課税して得られるだけの歳入額をあげて、地方費用の公正な負担分を引受けなければならない。

 これら二つの制限以外には、地方当局はいかなる種類の地方行政作用をどれだけするか、どんな租税をどの程度課税するかを全く自由に決定できる。他方、もしかかる自由が濫用されるようであれば、たとえば、特定の程度の教育の要求のごとき種種の付帯条件を課すことができるであろう。中央政府が課する制限あるいは要求の数は最低限度に減少され、または望ましい程度に用いられるので、平衡交付金は大きな弾力性を与えるであろう。われわれは、今日の日本においては、強力な独立地方団体を発達させることが重大問題の一つであるが故に、平衡交付金に関する国の統制を最低限度にするように強く勧告するものである。過度の制限の方でよりも過度の自由の方で誤る方がずっとましであろう。

 平衡交付金が地方自治を害する程度は、交付金の金額とそれによる地方の依存度によって異るであろう。
それ故に、交付金を均等化と一致する最低額に制限することが望ましいであろう。こうすれば、富裕地方の中には普通には交付金を受けないものもあろう。これはたちかえって地方当局が歳入力の強い地方独立税を与えられることを要求する。

I 均等化の遂行 (Implementation of Equalization)

 日本の地方団体は危期に面している。更に多くの金が急速に必要である。この緊急状態に鑑み、平衡交付金制度の全面的発展を待つことは実際的ではない。それ故に、われわれは、均等化計画を長期目標として採用するが、地方団体を健全な財政的地位におくために即刻措置をとるように勧告する。これらの措置はここ二,三年間にわたる完全な均等化計画の発展に貢献するものでなければならない。

措置1 全配付額が国税たる所得税および法人税収入と結付いている地方配付税は廃止すること。

措置2 本報告書の本文第二章において説明した如く、1950-51年度の平衡交付金として千二百億円を割り当てること。

措置3 地方配付税方式の要素のあるものは含むが、真の均等化方式に接近する第一歩となるように立案される新しい暫定的方式に基いて地方当局への平衡交付金を配付すること。

措置4 真の均等化方式を組み立てる資料を発達させるために、各種の地方行政および歳入の研究を即刻開始すること。

措置5 後年完全な均等化を採用すること。

 われわれは、現在の配付税方式を続けて使用しないように勧告する。新規計画への移行は地方財政の全額が大幅に増加されつつある時にこれを行わねばならない。こういうときには多くの地方当局の歳入の絶対量は増加するであろうから、新計画は好感をもって迎えられるであろう。これに反し、移行が遅れるならば、資金の削減を受ける地方当局が改革に反対して、改革は政治的に困難になるであろう。

 1950-51年度の新暫定方式は、現存する資料が許す限り均等化の理想に近付かねばならない。地方配付税方式において現在用いられている地方行政単位の分類、すなわち大都会を有する府県、その他の府県、人口五十万以上の都会、その他の市、警察のある町村、無警察町村といった分類は(恐らく人口に基いて更に幾らか細分すれば)適当なものであろう。

 各級の格地方当局のために、主要な利用できる税の収入見積を適当な標準税率で算出する。この額を些細な祖税および他の歳入源を考慮するために標準比率によって調整する。この計算の結果は各地方の財政力を測定するであろう。

 各級の地方当局のために、各主要地方行政事業の標準費用を見積る。たとえば、ある級の地方当局の標準教育費はその級の地方の管轄下の各種学校の生徒一人あたりの教職員その他の俸給、学用品、施設、維持費、新規建築等に要する金額に基くであろう。
同様に、標準警察費は標準警察力を維持するに必要な人頭割の額であろう。標準道路費は市町村においては人頭割の費用に基礎をおくが、都道府県においては一里毎の費用に基くであろう。標準保健行政費は人口と地方における疾病の発生とに基礎をおく。標準厚生行政費は人口と失業者の量とに基く。明らかに、標準額の設定は各級の地方当局の現在の実際支出額によって導かれるであろう。

 各級の地方当局の各種行政に対する標準費用が定まったならば、これらの標準費用を各特定地方に適用する。たとえば、小都会における小学校の標準費用が生徒一人あたりX円と決定したならば、生徒二千人を有するある市の必要額は二千 X円であり、他の行政の場合も同様であろう。各種重要事業所要費を加算し、それらの計算に含まれなかった小行政のための調整をすれば、その地方の全財政需要額が与えられるであろう。

 全財政需要額から全財政力を差引けば、その差額がその地方に対する平衡交付金算出の基礎になるであろう。(零あるいはマイナスの数字は単に補助無用を意味する。)中央政府が配付する全額は、財政需要額と財政力との間の差額に比例して全地方当局間に配付されるであろう。

 1950-51年度には財政力、特に財政需要の計算は不完全であろう。特別の事情に対応するために調整が必要であろう。従って、全体の十%を特殊事情および緊急用として配付することを許す地方配付税の現在の規定は少くとも当分の間存続させてよいであろう。

 一方、地方財政委員会は、標準地方費の権威ある尺度を発展させるために地方行政の継続的研究を開始するであろう。この研究中には地方行政とこれを行うための費用の分析が含まれるであろう。これらの研究の結果として、地方の財政需要額を算出する基準が着実に改善され、交付金の計算がますます客観的基礎の上におかれるであろう。これらの研究は、他の方面においてもまた重要である。それらは地方団体を改善する一助となるであろう。異った地方当局の費用を比較して、浪費と非能率の源を探知できるであろう。地方民は地方団体のために費す金の代りに充分の価値を得ているか否かを決定することができるであろう。そして、地方政務に関する詳細な情報を得ることによって、中央政府はその補助金をより有効な方面に向け、平衡交付金に向けるべき総額を決定する基礎を得るであろう。

 地方当局が各種の祖税から徴収する歳入を同様に研究することは地方の財政力を決定し、また非能率的な地方税務行政の行われている場合を探知する一助となるであろう。
これらの研究が標準費用と標準歳入額とに関し信頼できる材料を供給するに足るだけ進歩した時、および中央政府の財政が今日以上に確乎たる基礎をえた時には、平衡交付金として毎年支出する額は全地方当局の総標準必要額と総標準財政力間の相違に等しいであろう。

 インフレーションまたはデフレーションの時には、交付金は、地方団体の財政問題に対応するために自動的に変動するであろう。変動する経済与件に適応する重責は中央政府にかかるであろう。なぜならば、容易に適応するだけの施設も力もない地方政府よりもむしろ中央政府にその重責が属するからである。

 各地方への平衡交付金の金額はそれを支払う年度の初めに算出し、祖の年度中に四半期に分けて支払うべきである。年度末には最後の支払と関連して、実際の課税力と年度始めに見積ったそれとの間の相違を考慮するために調整がなされるであろう。

[# 付録Aおわり]