第一章
日本の租税制度
(THE JAPANESE TAX SYSTEM)
- [ # この章の目次 --- e-text 版のみ ]
- A節 租税収入総額
- B節 租税収入と国民所得
- C節 国、都道府県および市町村の財政関係
- D節 直接税および間接税
- E節 直接税の形態
- F節 間接税の形態
- G節 税務行政
- H節 公平
- I節 経済安定
この章は、日本の現行租税制度を概説したものであって、第二章以下に述べる本使節団の勧告にかかる改正案の理解を容易ならしめようとするものである。
A 租税収入総額 (Total Tax Yield)
国、都道府県および市町村を含む日本の租税制度は、本会計年度末、すなわち1950年3月31日までの十二カ月間に約七千八百億円の収入を見込んでいる。これは男、女、子供を問わず一人当り約九千五百円の負担である。標準世帯に近い一世帯五人の家族は直接に、または間接に、平均四万七千五百円の税金を納めることになる。工業労務者男子の平均賃銀月収入は、九千円を少し上回っている。従って、このような標準労務者がその税金を納めるには、彼の給料のほぼ五カ月半分を要する。しかし、この比較は、税金を誇張した見方であって、一般には、一家族には一人以上の所得者がいる場合が多い。のみならず、このような「平均税額」を納める者はほとんどいない。すなわち税制は、全般的に見て、標準家族が平均税額より低い税額を納める程度に累進的であると考えられる。一家族の平均税額が四万七千五百円であることは、別の見方からすれば一家族の煙草に充てる平均支出と比較することからもうかがうことができる。煙草特に巻煙草に対する消費の総支出額は、年千六百億円よりも若干少い。これは、かりに日本における煙草を消費する世帯総数が約千六百万戸とすれば一世帯当り年平均ほとんど一万円となる。もちろん、その支出の大部分は、政府収入すなわち政府の専売益金として徴収される。しかしながら、これらの消費者がかれらの選出した議員をとおして国会で可決することを欲する四万七千五百円の税負担に比して煙草の消費のために、一世帯当り年ほとんど一万円を消費することを欲し、またそれをなしうるということは注目すべきところである。
本年度の政府歳出に比して、この税収総額はある意味においては大きいが、別の意味においてはそれ程大きくはない。政府の一般会計の歳出は、地方団体が消費するようにこれに対して与えるための交付金も債務償還のための支出も含まないで、本年度は五千億円を若干上回ることになる。地方歳出は、起債および国からの交付金を含めて約三千八百億円となる。したがって政府の歳出総額は、政府の特別会計及び債務償還の支出を除いて、約八千八百億円となる。これは税収総額より一千億円多い。しかし、この差額は税以外の他の普通歳入すなわち国及び地方の手数料収入、地代および雑収入ならびに貧困の地方団体がその住民から徴収した約四百億円のいわゆる自発的な寄付金によって十二分に補填されている。これらの収入を勘定に入れると、国の一般会計は約六百億円の黒字を生じ、これは債務償還に充てられるが、他方、地方予算において生ずる百八十億円の赤字は起債によって賄われる。したがって、全体としては、今春編成された予算における本年度の歳入は、歳出を約四百億円程度上回ることとなる。
しかし、説明はこれでつきるわけではない。見返り資金は、政府の特別会計の一つであって、その収入は、米国の対日援助計画に基いて輸入される物資の日本消費者および商工業者への売却から得られるものである。この資金から、債務償還に少くとも六百億円が、また鉄道、電話および資本設備を改良、拡張しようとしているその他の経済分野の整備に恐らく八百億円程度が充当されるであろう。
本年度の予算のみを考えるとき、税収総額は十分であるが、本年度の歳出と比較すれば特に大きいとはいえない。尤も過去数年間に亘る政策が変更されたことを考え合わせると、税収総額は非常に大きいものになっている。歳入が歳出に遥かに及ばなかった過去のインフレーションの時代に続いて超均衡予算時代が出現した。この突然の変化は、経済安定計画の重要な要素であったが、経済安定史にも未だ類例のない特筆すべき成果といわなければならない。これは、もちろん本年度の歳入が多すぎるということではない。将来日本においてインフレーションが昂進する虞れは今なお去ったわけではない。さらに前記の黒字を一部相殺する赤字が、特別会計のうちに発見されるかもしれない。
国債の殆んど全部は、日本の金融機関が保有している。課税による債務の償還は、貨幣が一般大衆から取りあげられて、商業銀行または日本銀行の手中に入ることを意味し日本の現状において、債務償還のもたらす結果は、まず貨幣が流通過程から取りあげられることである。もちろん、金融機関は営業または消費部門に対して更に貸出することもあるが、しかしかような結果になることについては、債務償還の機構自体にはなんらの保証もない。それ故に、租税による国債償還は、デフレ的性質をもっているし、またそのような意図があるわけであるが、これまた経済安定計画の主要な要素である。見返資金による債務償還についても、また同様である。
将来に残された問題は、どのような速度で債務償還が行わるべきかにある。余りに急速な債務償還は、デフレ的な加重によって経済を阻害する虞れがある。
その限界が数字的にいってどの辺にあるかということは本報告の論ずる限りではない。しかし、この部門の研究は、いかなる時期においても良識ある判断が下せるように恒久的基礎の上に着手され、持続されるべきものである。
右に述べたところは、インフレーション政策の努力を直ちに緩和すべきことを容認したものと解すべきではない。将来インフレーションが昂進することを抑制することがなお現在の急務である。
B 租税収入と国民所得 (Tax Yield and National Income)
この税収総額は、国民所得と比較して過大なのか、過少なのであろうか。この疑問は日本の租税制度を全般を論ずるときには、殆んど常に問題とされるものの一つである。
これに対して有意義な解答をするには、まず問題の意味を明確にしなくてはならない。租税収入というものはそのまま消えてしまうものではない。それは、国民共通の福祉に利益するように、日本の勤労者および事業家に対して、彼等が生産し、政府に提供する財貨および役務の対価として支払われる。従って租税収入が大きければ大きいほど、政府の対価支払額は大きくなり、その結果国民の受ける公共利益の量は大きくなる。かような観点に立つならば、一定のレベルの税負担が過大であるか、過少であるかは、何を基準としていうことができるであろうか。
これを判断するのには若干の基準がある。しかしよく検討してみると、この基準は、単に租税だけに関するものではなくて、租税とこれに伴う支出とに関係するものである。但し、注意すべき例外が一つある。一つの基準は、もし多量の金額が不要な使途に充てられて浪費され、または必要な使途に充てられていても非能率的に使用されるとしたなら、租税は過大であるということである。この場合は租税そのものより支出の方が過大なのである。
もう一つの基準は、支出が必要なものであり、且つ能率的に使用されるとしても、そのなかには、このため収入をもう数十億円増加させることによって、租税制度の中に敢て無理と軋れきをひき起すに値するほど緊急不可欠ではないものがあるということである。
この場合には、当該政府事業はこれを差控えて租税収入を減少させた方がよい。しかしこれも程度問題であって、この問題は、ただ税制だけを考えたのでは解決されるものではない。時としては、政府事業の要請は、その政府支出を見合せるよりも租税制度の上に恐ろしい無理を加えることが必要な場合もある。戦争及び天災がその実例である。
さて、政府が重い課税を試み、その分だけ、無償でまたは補給金による低廉な価格で大巾な利益を各個人に対して提供したとしよう。するとこの結果人によっては「何故働くのだ。働けば税を払うことになる。働かなくても国家は無償の利益と補給金を与えるではないか」と考えるようになるであろう。もし多くの人々がこのような考えを抱くようになれば、生産全体は減退することになるだろう。しかしわれわれの知る限り、この虞れが多少でもはっきりと現実化したことはかつて一度もなかった。もちろん、日本は、まだこのような段階に到達していない。われわれの観察するところでは、日本国民に勤労意欲が欠けていることはない。
近代租税制度は、冒険的企業に対する投資意欲を阻害し、この結果、社会の総生産が減少することがあるとはしばしば唱えられているところである。しかしこの点について証拠は明らかではない。何となれば、米国の戦後の巨大な投資ブームは、税率がなお異常に高かった時に起ったからである。もっとも将来の減税に対する希望がこのブームを支えていたのであったかもしれない。しかしいずれにせよ、この論争は主として租税の総額に関するものではなくて、むしろ租税の種類に関するものなのである。
従って、われわれは、国民所得に対する租税の比率に訴えても、日本において租税が過重であるか否かという疑問に対して回答を与えることにはならないという結論に達する。とはいえ、この比率を算定することは意義のないことではない。というのは、もし日本の租税比率が米国または英国のそれに比してはるかに高いものとなる場合、またははるかに低いものとなる場合には、この差異のよって来るところを調査すれば、恐らく有益であるに違いない。
だがそうなると、われわれは別の困難に直面する。この目的に使用できるほど精確な日本の国民所得の推計はないのであり、これから推計するにしても、それは、生産・卸売・小売・及び世帯支出の実態調査という一連の標本調査を終らないうちは、でき上らないのである。この標本調査は、米国における人口調査のように細目にわたる悉皆調査を必要としないから、大した費用がかかるわけではないが(標本抽出の熟練者が従事した上で)非常に高度の熟練を要し、また国民所得の推計に必要な資料を抜き出して、まとめ上げるには多大の時間を必要とするのである。
日本における国民所得の研究家たちは、手許の不十分な資料で、できる限りのことをなし遂げた。彼等の器用なやり方は印象が深い。その結果は日本の国民所得は恐らく最低三兆円、実際はそれをかなり — 数千億ないしは一兆円以上 — 上回るであろう。
1949年度の国税は、約六千三百億円(内千二百億円は煙草専売益金)、地方税は千五百億円(事実上の変則的地方税であるところの約四百億円に上る「寄付金」を除く)と計上されている。従って租税総額は、七千八百億円であり、国民所得額の三兆円の二十六%に当る。
国民所得は恐らくこれを上回るのに対して、徴税実績が右の額を非常に超過するということは考えられないから、日本の1949年度の国民所得に対する租税の比率は実際は二十%前後を出ないであろう。
米国では、1948年度における連邦、州および地方税の総額は五百八十億弗、純国民生産額は二千四百四十億弗と推計されるから、純国民生産額に対する租税の比率は二十四%にあたる(註一)。純国民生産額の方がこの場合においては国民所得よりも適切な概念である。それは通常国民所得よりも若干多い。間接税は国民所得の計算にあたっては除外されるのだが、つまり国民所得に間接税を加え、それから企業に対する補助金を除いたものが純国民生産額にあたる。
英国では、1948年の国税および地方税総額は、四十三億二千七百万磅[#ポンド]に対し、純国民所得は百十三億二千五百万磅と推計されている。従って純国民所得に対する租税比率は三十八%に当る(註二)。国債および地方債の利子は六億磅であった。
補給金は、五億千五百万磅を要した。国債利子は純国民生産額には含まれていない。もし国債利子がなかったとすれば—相対的に見て日本についてはほとんどそういえるのであるが—、そして更にこれに応じて減税が行われたとすれば、英国の租税比率は三十五%となる。
読者は、これらの租税比率を相互に比較してあまり多くのことを推論することのないように注意しなくてはならない。
つまり、これらの事実から引き出しうる結論は、その趣旨において、消極的なものであって、日本の租税総額が異常に大きいとか、または小さいとかいう証拠は、これらの資料のうちには全く存在していないということである。しかし同時に、日本における国民一人当りの所得が低いことを考えるならば、租税総額は、不当に少いものと考えらるべきではなかろう。
註一(事業研究時報)1949年2月号十頁
註二(英国の国民所得および消費)1946年ないし1948年版 七六四九、六頁(市場価格による総国民生産額)十七頁(減価償却)二十一頁(法人の納税積立金)二十二頁(納税額)租税の数字には、社会保障積立金を含む。また法人税の法定負担額を含んでいてこれは現実の支払額より一億六千五百万磅多い。
税収総額からは補助金が差引かれていない。
C 国、都道府県および市町村の財政関係 (National, Prefectural and Municipal Financial Relations)
もし、中央政府の一般会計、見返資金特別会計の歳出および地方公共団体の歳出を加えるならば、本会計年度に計上されたその総額は約九千六百億円となる。これには国債償還は含まれていない。また、国の予算からは、地方団体に対する交付金は除かれている。そうしないと重複して計算することとなる。もし、純国債償還が含まれるとすれば、その総歳出額は一兆六百億円に達するのである。
この九千六百億円の五分の二が地方公共団体の歳出である。中央政府が軍隊を維持することなく、且つ、きわめて僅少な国債費しかないことを考え合せると、特にこれはさして大きな割合ではない。更にまた中央政府によって運営される準政府的または事業的な活動が多く行われている。が、これらは一般会計または見返資金特別会計には包含されていない。国有鉄道がその一例である。しかしまた一方で、この五分の二の割合は、国がすでに発表している価格差補給金の削減計画を実施するときには増加することになる。
地方公共団体の歳出の相当部分は国からの交付金により賄われている。普通歳入額についてこれを比較すれば、地方公共団体の相対的重要性は歳出の数字が示すよりも少いようである。租税および雑収入(但し、見返資金特別会計の収入を除く)は、地方の自発的な寄付金を含めて、約九千二百億円であり、それを除外した場合には八千八百億円となる。
この総額中七千五十億円が国の手で徴収されるのである。かくして地方公共団体は総歳入の五分の一程度を収入するに過ぎない。この割合は総歳入に見返資金の収入を入れると更に少くなる。他国との比較は統治機構が異っているから困難である。
米国では、州およびその下部地方組織が連邦、州およびその下部地方組織の税収総額の約四分の一を徴収している。国防に要するぼう大な支出、在郷軍人えの支払、国債利子及び日本を含む対外援助の故に連邦政府は多額の歳入を必要としている。この四項目だけで連邦政府支出総額の四分の三を占めている。
国が地方公共団体の賦課しうる租税の種類を明記し、その最高税率を定めることにより、地方公共団体に制限を加えていることを考え合せると、日本における地方自治の程度は、この五分の一という比率が示唆するよりも若干低いものであると思われる。
D 直接税および間接税 (Direct and Indirect Taxes)
間接税に対する直接税の比率は、国民の納税義務に対する自覚の程度を概略示すものである。これはまた制度が全体として各個人の異った支払能力の程度に合理的に適応しているかどうかを示すものである。直接税は概して適応しているが間接税は通常そうでないといえる。
直接税とは、売上金額、賃金等の増加により、または購入単価の低下により、最初の納税者から他の納税者えと負担が転嫁されないものである。立法者の意図するところは種々の事情により制約を受けるであろうが、当面の問題である概括的評価の目的のためには意図と結果は充分に接近していると考えられる。
直接国税とは、個人所得税、法人税および相続税、贈与税である。煙草の専売益金を含むその他の国税は、すべて間接税とみてよい。地方税についてはその分類はより困難であるが、住民税は全く直接税と考えてよいであろう。また家屋税、地租および事業税は、半ば直接税であり半ば間接税と考えてよい。
その他の地方税は、僅少の例外を除いては、すべて間接税と考えてよい。かかる分類の下にあっては、日本の歳入総額七千八百億円の約二分の一(五十一%)が直接税からの収入である。国税における直接税の比率は、五十四%、地方のそれは三十七%である。全租税体系における、この五十対五十の比率は、特に注目すべきものではない。これは旧式の税制下において考えられるべき比率と戦時中に米国において発達したそれとの中間的位置である。1947年には連邦、州および地方税収入総額の約七十%が直接税、すなわち所得税、法人税、相続税、贈与税、財産税の半額、社会保障税の半額、自動車運転免許税によっている。連邦政府歳入の中、八十%は直接税からであり、1948年6月末日に終る会計年度の資料によると、連邦政府歳入の八十二%が直接税によるものであった。間接税の分野で米国と日本との最も著しい相違は煙草による税収入に関してである。米国における1947年度の煙草に対する連邦、州、および地方の合計額は税収総額の三%を占めていたが、日本においては1949-50会計年度(推計)の煙草専売益金は、(専売益金を含めた)国税および地方税総額の十五%である。
直接税の分野における最大の相違は、法人税に関してである。日本における1949-50会計年度の徴収額は、恐らく五百億円程度であり、換言すれば税収総額の六%に過ぎない。一方1947年に米国では連邦および州の法人税収入は税収総額の十九%に達している。(註一)
本稿執筆の際、現に著者の手許にある英国に関する最も新しい詳細な資料は、1946年のものであるが、上記の分類によると同年の国および地方税収入中、約五十六%が直接税で、四十四%が間接税となっている。
(註一、米国に関するこれらの数字は、すべてニューヨークの租税学会提供した資料と米国財務省の財政公報に基く。)
E 直接税の形態 (Pattern of Direct Taxes)
日本における直接税の形態は、留意すべき若干の特徴を有している。
直接税収入総額中個人所得に対する税額が異常に高率である。1949年度に計上されている直接税収入総額は四千億円に近い。このうち個人所得に対する国税は、三千百億円に達する。二百三十億円を算える住民税は主として個人所得に対して課せられる地方税である。本年度五百二十億円と見込まれる地方税たる事業税のかなり大きな部分は法人化されていない企業の利益を基盤としている。全体として三千五百億円以上、すなわち直接税総額の九十%近くが法人化されていない個人企業所得を含む個人所得に対する課税額によって占められている。本春、編成された予算では法人税(超過所得税を含む。)が直接税収入の約八%を占めている。
しかし、この税源からの実際の徴収高は、本年度は五百億円に達するかも知れない。相続税、贈与税の推計額は僅かに二十億円に過ぎない。
一つには、この数字は、法人化する条件を備えていないかまたは法人化を欲しない中小商工業者が日本の実業活動においていかに大きな役割を演じているかを反映するものであり、
他面またそれは税務行政が法人会計を、それがない場合にはその欠如に対して充分こなしがつかなかったことを反映するものである。
同時に、この数字は、財産を基礎とする課税が今日、日本において極めて小さな役割を演じていることを物語っている。相続税および贈与税の外に、地方税として本年度僅かに百四十億円の税収をあげている家屋税および地租があり、不動産取得税は百二十億円、そして地方税である自動車税および荷車税のような極めて小さな税種目である。総じて今日、日本において財産課税からの収入は三百億円に満たず、税収総額七千八百億円の約四%に過ぎない。諸外国では多くの理由から、古くから財産が課税の適切な基礎と認められてきたことに鑑み、この比率は現行日本租税制度における最も奇異なものの一つとなっている。このことは、われわれをして今後財産課税の演ずる役割を増大するための措置を勧告するに至らしめたものである。
所得税においてあらゆる種類の所得に対して同一の税率を適用する点においては、日本の租税制度は、米国および英国のそれに類似している。—これはフランス、イタリーの遣り方に比して対照的である。しかしながら、事実所得税法は、資産所得を給与所得に比して重く課税している。すなわち、給与所得に対しては、大きな勤労控除を認め、農家および個人企業に対しては、これを全然認めていない。さらに国税及び地方税を合せ考えると、事業所得が総額において、相対的により重く課税されている。個人企業は、所得税および地方税たる事業税を納める。
住民税に関する限り、その企業の所得は個人所得の一部とみなされる。これは商工業者および農業者の場合も同様である。
法人の所得に対しては、法人税(超過所得税を含む)および地方税たる事業税が課せられる。法人からの配当金は、株主の所得として課税されるが、後章において述べるように控除の形である程度緩和が図られている。法人税(超過所得税)と事業税とを合せると法人所得に対する税は、多くの場合所得の六十三%にもなることがある。百円の法人利益は事業税により十八%課税され、残余の八十二円に対して普通所得および超過所得に対する税率を合せて法人税五十五%が課税される場合がある。この外、株主は配当を受けた場合、これと別個に配当金に対してさらに税を払わねばならない。
ある意味において、この資産所得に対する余分の課税は、財産の資本的価値を課税できなかったことを埋合せる性質を持つが、この埋合せ作用は不均衡であり多くの場合偶発的なものである。
F 間接税の形態 (Pattern of Inirect Taxes)
一般にいって、日本の租税制度は衣料品(繊維品の生産に対する課税)を除いては、生活必需品に対する課税を避けることには成功しているが、多くの租税制度と共通して煙草および酒類に多く依存している。歳入の大きな部分が、煙草の専売益金によって占められていることは既に述べたところであるが、本年度において、七百億円を予想される酒税収入は煙草からの収入の約六十%を若干下回る。これは、米国の場合とは逆であり、米国においては煙草に対する連邦、州および地方税の総額は、数州における酒類配給の専売益金を酒税収入に含めないで総酒税収入の半分以下である。
1946年度における英国のこの比率は日本のそれに近いものであった。即ち、酒類に対する関税および消費税は、煙草に対する関税および消費税の八十三%に過ぎなかった。1948年においてはこの比率は七十%に下った。
しかしながら、この英国の場合は、煙草の輸入より生ずる外国為替問題があることを考えると、例外的である。あらゆる税源からの税収総額に対する日本の酒税収入は、全体の九%を占めている。米国においては、この比率は州の専売益金を含めないで、約六%であり、英国(1948年)では約十%であった。
日本の間接税制度中にはその税率において他の如何なるところにもおとらない高率な税種が含まれている。映画館を含む劇場の入場税は百五十%である。少数の奢侈品に対する物品税には生産者価格の百%のものがあり、この外に八十%のものもある。
ほとんど全ての国においては、関税は他の歳入に比して従来よりはるかにその重要性を減じて来ているが、日本においてはこれは全くとるに足りない程度である。すなわち、本年度分として三億円の収入が見積られているに過ぎない。関税率の改訂が行われるまでは関税の徴収は事実上停止状態に置かれているといえる。
日本には一般的売上税として、税率一%の取引高税(一般売上に対する課税)がある。しかしかかる租税を有する多くの諸外国とは異って、日本ではこの租税から得られる収入は比較的少ない。本年度において約四百五十億円が取引高税の収入として見積られており、国税及び地方税の合計額の六%にも満たない。このことは、税率が軽いという外に、免税品目があること、実施面が不備であることによって説明されるものと思われる。
G 税務行政 (Administration)
脱税が日本において重要な問題であるということについては、意見は大体一致している。その結果どの位の税収入が失われているかについてはまちまちの推測が行われている。われわれは、もしすべての税種が現行税法どおりに実施されたとすれば、税収総額は二十五%ないし百%程度増加するのではないかとの印象を受ける。
脱税に関する大部分の論議は、所得税の申告納税分を中心におこなわれている。しかし、われわれが知り得た限りにおいて、この問題は、酒税、取引高税、法人税、物品税、また恐らく大部分の地方税についても同様に重要であることが示されている。ただ煙草の専売益金だけがその達すべき標準の百%に近いものとなっているようである。
どうして脱税があるか、またそれに対してどんな対策が採られるべきかについては、本報告を通じて論ぜられているところである。
日本の税務行政機構およびその構成員に関する遠大な改革が1948年の後半以来進められているが、これは米国の財務省及び歳入局の係官並びに日本全国にある軍政部(現在の民政部)の指導と助言によるところが大きい。この計画は、東京における連合国総司令部経済科学局歳入課の監督のもとに企画実施されて来たものである。この改革の重要性並びにそれを継続せしめるための必要な措置については第十四章においてこれを取上げている。しかし行政面の改正の細目は本報告の論ずる限りでない。
本報告において後述する法律改正の勧告案が採択されることになれば、税法の一部は簡素化され、税法の解釈に関する大蔵省の規則が発行されこれにより納税者の便宜に資することとなる。更に納税者が記載し易いように納税申告用紙をより簡易なものにすることができる。
地方公共団体は、その税法の運用にあたって国の税務官吏が受けてきたような援助は与えられていない。今後地方団体が租税に関しより多くの責任を負うべきものであるに鑑み、このような援助は特に深い意義を有するものである。
H 公平 (Equity)
いかなる租税制度もそれが公平なものでなければ成果を上げられるものではない。また納税者によってそれが公平なものであることを認められるものでなければならない。租税の公平とは、一面法に則して税務行政が行われることであり、他面税法が公平に制定されるということである。税務行制[# 政?]面における公平の細目については、これを税務行政担当者に委ねるが、税法の規定が公平なものとなることを保証するのはわれわれの主要な任務の一つである。
われわれが公平を求めるという点を強調すると、意外な感じを与えることが少くないが、永らく租税行政に携った者で、およそ、税の負担が公平であるか否かという試練に耐えられないような勧告は絶対に受入れられないということに気付かない者はないであろう。これは、第一にもしそれが指摘されるならば誰にもその不公平であることが明瞭である課税上の相違がないような税制でなければならないことを意味する。多くの場合このような相違は困ったことには決して表面に現われないで背後にかくれている。
これらの相違は直接の関係者によってのみ気付かれ、一般大衆には分らない。直接の関係者でさへ問題がどの点にあるか明瞭に分らない時がある。公平だということはまたなにが公平であるかということについての一般大衆の深い、行渡った気持を税制が満足せしめねばならぬことを意味する。このような場合税に関する研究者が自分の勧告が正しいものだと考える程自信を持つことは遥かにむずかしい。かれは所得と富の配分、経済的活動における機会の配分に関し、一般の人が抱いている気持がどのようなものか観測はするが、しかしこれらの問題について自分がもっている考えを全面的に抛棄するわけには行かない。
とにかく公平に対するある構想を自分の指針として持っていない限り税制使節団は途方に暮れるであろうことをここで指摘して置きたい。たいていの場合、一定の税収総額を確保するためには、そのどれを比べて見てもさして経済の全生産力に支障をきたすことのないまた実際の運用上に差し支えのない税種の配合の仕方は少くとも十二以上は探せるものである。
現行の日本の税制は、紙上の計画としてまたその骨子において大体公平のように思われる。その実際の運用あるいは各税法の細目にわたっては、話は別である。例えば、現行の所得税には運用上不公平な面がある。というのはある納税者(所得が源泉で徴収される給与所得者)には完全に適用され、それに反し他の者(多くの法人化されていない事業)には実際適用されていない。またそれ以外のもの(一方的に更正決定を受けた事業者)には法律で許されている以上に適用されている。所得税法自体には、その細目にわたって多くの不公平な点がある。—例えば合算申告にあたって同居親族的観念が支配している点および二割五分の勤労控除のため、中小商工企業および農家に比して給与所得者が不当に有利となっている差別の如きである。
かように、日本の税制は諸種の不完全な運用と規定のもとに苦しんでいる。その欠陥の一つ一つはそれ自体大したことはないが、その欠陥を積み上げると、不満と危機をさえ醸成する要因ともなるのである。それは丁度大きな河にかけられた鉄橋が適当な位置にありまた適当な材料によってできているにも拘らずその十数カ所に鉄筋の適当な大きさを判定するに当って多数の些細な間違いがあるため殆んど使用不能になったようなものである。われわれの勧告は本質的に技師の研究報告のようなもので多数の詳細な点について注意が払われている。
詳細な点の勧告が採用されない限り、一般的な勧告だけでは余り効果的ではない。
かかる具体的な勧告を作成するにあたって、われわれは簡素と公平の基本的な対立を常に念頭に置き、しばしば公平における精緻を犠牲にして簡素に偏することはあっても両者間の均衡をはかろうと努力した。
現代の経済生活が非常に複雑になったため、極端に簡素な税法でさえ最も無関心な納税者にとっても、ゆくゆくは耐え難い程不公平なものに感じられるであろう。生れて始めて直接納税をする多くの個人に対しては、両者択一に迷った場合、簡素を選ぶべきだというのがわれわれの見解である。納税申告用紙及び租税の算定法については特にこの点に留意すべきである。
しかし経済的利害の複雑な富裕な納税者に対しては、余りに簡素に偏重すべきでない。このような納税者は完備した帳簿を作る労を惜しまないだろうと想像されるからである。かれを不公平な税金から保護し、同時に合法的脱税えの抜け道を閉塞するために作られた若干精緻で詳細な法律をかれは十分理解できる筈である。なお事業を営む法人については、もし不公平及び好ましくない経済的結果を防止するためにそれが必要であるものなら、もっとより複雑な租税を賦課することが至当であると考える。
I 経済安定 (Economic Stability)
日本は通貨面で、きわめて不安定な時期を経てきた。その上、工業が重要である他国と同様に失業不安—好景気と不況—に直面している。他の目的構成に概ね背反しない限り、税制は安定的作用を発揮すべきである。
所得税の運用が真に効果的にできたならば、その急激な累進的税率はいかなるインフレーション再燃に対しても強力な防壁となるであろう。
また逆に、増大する失業の結果一般の購買力が減退すれば、多くのものは課税最低額以下に低落し、または少くとも低率水準へ引き下げられるであろう。したがってこれらの者の購買力に対する税負担は自動的に軽減され、政府はその間、金融機関を通ずる貨幣の創出を含む起債によらざるを得ないであろう。このような税制の景気感受性理論はたとえ一般には認められていないにしても、財政学界においては広く承認されているところである。急激な累進的所得税が日本税制において大きな役割を演ずべきこと、及びでき得る限り間接税の範囲を狭めることをわれわれが勧告する理由の一つは、上述の方法によって経済安定に自動的に寄与できる税制が必要であるからである。
この問題については本報告書で論ずべき多くの点がある。しかし新しい制度の基盤が確固とした基礎の上に立つまでこれに関する検討は後日に譲る方がいいように思われる。
景気変動対策の手段として租税制度を使用することは、税務行政上の諸問題が特に重視されなければならないことによって、当分の間は制約を受けなければならない。
[# 第一章おわり]