top

bottom

制作者メモ:
このファイルは2001年当時「坂口安吾新発見未発表原稿」として、雑誌「すばる」(集英社)2001年6月号に掲載された2編の原稿のうちの1編です。当時パソコンにテキスト形式で保存していたものですが、HDの肥やしとなっていたのが偶然できてきたので、HTML化してみました。底本の雑誌はすでに手元になくなっており、このテキストの厳密な再現性は保証できませんので、あまり役にたたないとは思いますが、メモ代わりに残しておきます(もっぱら自分用)。正確なものが必要な場合は図書館等で閲覧してください。
なお、もう1編は「インチキ文学ボクメツ雑談」 です。

注) [#   ] は制作者注、/\は2倍のおどり字をあらわす。

坂口安吾「わが施政演説」

 私は政治家ではありません。小説書きであります。

 ちかごろ、小説書きの何人かゞ参議員《ママ》に当選いたしまして、文士政治家がハヤル形勢を見せてゐますが、私は代議士にも大臣にも村長にもなる量見はありません。コンリンザイ、ございませぬ。

 けれども、文学と政治は関係があります。どういふ関係があるかと云ふと、全然別物だといふ関係です。

 人間の生活には、政治ではどうするこもできない部分があつて、そこで文学が生れてをります。哲学も宗教もさうです。

 たとへば、恋愛法といふな《まま》ものは、作ることのできないものです。これこれの男には、これこれの女と結婚せよ、そんな法は政治ではやれぬ。勿論、文学も、やれぬ。占者などはやります。カーマスットラといふ古代印度のお経なども、リンガとヨーニの大小形態によつて、合ひ性を定めてをります。

 もつとも、政治ではやれぬと申しましても、横車の政治といふものもあつて、なんでも政治でやつてしまふ。戦争中の軍人政府など、こんな法規をあみだしかねぬ量見でした。汝らの動作も作法も日本的でない。その劇も歌詞も日本的でない。かうせよ、あゝせよ。笑つてもイカン。国民服といふものを着せまして、精神の方にも、日本的な制服を着せる考へでをられたやうです。

 共産主義の方も、似た考への様子で、さきごろピカソといふ共産主義者である高名な画家が、その絵が共産主義的でないと云つて叱られたか何か致したさうです。精神も共産服を着て、共産主義者といふ法則通りの精神服を着用しなければいけない。

 政治がこゝまで何でもやつて呉れゝば、文学など、生れる意味はありませぬ。宣伝的作文はあつても、文学などは有り得ません。

 当り前のことですが、たつたこれだけのことも、一般に理解せられてをらず、いつ又そんな世の中になりかねないとも限らない権力思想の古い根がはびこつてをります。

 政治家は彼らの間に迷信せられてきた政治に就て心得てゐても、人間の政治、人間に於ける政治の正確な限界と作業に就ては全く認識する識見を失つてをります。

 無産党などゝと称して、いかにも新時代の政治をもたらすやうな看板をかゝげてゐても、彼らの政治する態度は、保守党よりも、むしろ旧式でありまして、宣伝に依存して実質を失ひ、暗躍による陰謀的提携の手腕などを政治と心得、その意味に於いては、保守党以上に政治家であるといふ旧式ぶりであります。

 無い袖はふれぬ、といふ現実に即した態度すら持たず、その悲痛な現実と照し合はせて政策を立てゝ選挙にのぞむだけの当然な用意もないから、政権を握つて慌てゝ現実に直面して、今さら無い袖はふれぬと分るやうな低脳ぶりであります。否、政権さへ取りやいゝんだ、あとはその時のこと、無い袖はふれぬと云つて何とかゴマ化せるだらう、とタカをくゝり、政治といふ仕事をナメてかゝつてゐるのだから、低脳よりも始末が悪い。低脳ながら、ズルサにたけ、ゴマカシにたけてゐる、それが日本に慣用の政治といふ概念の実体であります。

 私は政治家ではありませぬから、いはゆる政治家の政治に就ては通達致してをりませぬ。然し、人間の立場と致しまして、人間の生活に就て省察致しますなら、人間の生活の諸条件はおのづから判じうるものでありますから、人間に於ける政治の在り方、その正確な限界と正当なる作業といふことも、おのづから考へに浮ぶわけであります。

 施政演説といふものは総理大臣がブツものゝやうでありますが、歴代の総理大臣は政治家であつたかも知れませんが、人間であつたやうに思はれませぬ。

 私は総理大臣でもなく、人間の代表でもありません。たゞ、あたりまへの一人の人間であり、又、日本人であります。たゞ、それだけの資格に於きまして、私一個の施政演説をブツことに致しますが、これは政治的野心などゝいふものによるためではなく、人間といふものは、人間として生をうけ、生を完うするために、それぞれの抱負をいだいてをりますが、それを五勺の酒に酔つたりして冬の夜の炉端などで、のべる。これを気焔[# 焔は 火+陷の右側]と申しますが、この文章も、つまり、そのやうなものであります。

   政治に就て

 政治といふものは、現実的なものでなければならぬ。理想主義であつてはならぬ。

 もとより、政治に理想は必要でありますが、理想の早急な実現は、考へてはなりませぬ。

 なぜなら、我々の人生は五十年、然し、人間の歴史は、あと何十万年つゞくか見当がついてをりません。

 この何十万年の未来の時間が、みなそれぞれの現実として、少しづゝ進歩向上致して行くのが、人間の当然な未来史でなければならぬ筈のもの、歴史は繰返すなどゝ申しますが、バカげた歴史は繰返さぬやうに、手筈を致すのが当り前のことであります。

 これが永遠不変の社会制度であるとか、さういふ主義理想をふりかざして、自分一代でそれを実現しようなどゝいふ英雄は、最もナンセンスな阿呆、無智モーマイな暴漢であります。

 なぜなら、人間といふものは、この先に何十万年、何百万年かはかり知れぬ未来があり、その各々の未来の時間に当然各人がその最善をつくして向上進歩につとめる筈のもの、それを、たつた五十年の我々が代りをつとめるなどゝとは、その考への甘さ、あさはかさ、未来に対し、人間に対し、まことに冒涜[# 涜は サンズイ+賣]、僭越、ナンセンスきわまる話であります。

 永遠の制度をつくるため流血の革命、甘んじてギセイとなれ、英雄となれ、と云ひ、戦争中も、東亜百年とか永遠の幸福のため、わが一身の安きをはかるな、と云ふ。

 まったく、かくのごとく、民族の未来のためとか、永遠の繁栄のため、とか、さういふ有りうべからざる(未完)